甘い罠 


 「・・・こんなもんかな。」

 串を抜いてケーキを型から外し、冷ます為網台に載せる。
ホイップクリームを冷蔵庫から出し、お茶の支度にかかる。
あと数分。夏は段取りよく作業をこなして来訪者に備えた。
ほのかはきっと目を輝かせ、夏に惜しみない賛辞を贈るはずだ。
その姿を浮かべて夏は誰もいないのをいいことに頬をゆるめた。

 ”ほのかのこしらえる料理を食うのを避ける為”

新島は知った風にそう言ったが、それはきっかけに過ぎない。
今は進んでほのかに手作りの料理や菓子を食わせてやっている。
自分一人が食う為よりはるかに作り甲斐もあって楽しいからだ。
今日も数日振りにやってくるほのかの為にシフォンを焼き上げ、 
そのほかにも濃やかな気遣いをする夏。まるで恋人を迎えるように。 
それを知ってか知らずか夏は鼻歌まで歌い上機嫌で待ち構えている。
程なく聞こえたチャイムにいそいそと玄関に向かうと元気な姿の前で
目元は優しくなった。玄関にまで漂ってきている匂いにくんくんと
鼻をひくつかせ、ほのかは挨拶もそこそこに洗面所へ向かっていった。
期待通りのほのかの様子に夏は益々気分を良くしていた。

 「ここって”お菓子の家”みたい!」

 言われた時、夏は押し黙った。ならば夏は魔女の役に当たる。
わかっていて言ったのではないだろうが少々狼狽したのは事実で。
魔女はお菓子の家に子供を誘き寄せ、どうするのであっただろう?
食ってしまうのではなかったかと昔の記憶を手繰り寄せたからだ。

 「それになっちこの頃お家の中にもお菓子隠すでしょ?!」

 近頃谷本邸ではお菓子作りから派生したゲームもブームだ。
夏がポケットに入れた飴玉をほのかが見つけ出したのが発端。
ポケットに留まらず、家中のあちこちに隠されたお菓子や小物を
見つけ出す『宝探し』がそれだ。双方に楽しんで興じている。
おかげで普段から夏はポケット付きの服を選んで着るようになり、
常に何かしらの飴などを携帯するのが習慣になっていたりもする。
これはほのかが夏にほっとかれて文句を言いたいときにおいても
気を逸らす格好の手段にもなり、夏は大変助かっていた。

 「ほのかますますここに来るのが楽しみになったのだじょ!」

そんな好感触を示すほのかに夏は表向きは別にしてご満悦だった。
そして今日は自信作のケーキにも予想通りの賞賛を得ることにより
かなり有頂天を地で演じてしまいそうになっていたのであった。
そこにほのかが新たな発言を投下してきて夏は固まった。
 
 「ねえねえ、こういうのを”はにーとらっぷ”っていうの?」

固まって数秒、夏は必死で体勢を整えてほのかに視線を戻した。
いつもどおりの無邪気で罪のない笑顔と答えを待つ好奇心の色とで 
ほのかは『待て』を命じられた犬のように期待の目を輝かせていた。
どこで見聞きしてくるのかわからないが、ままある事態ではあった。

 「・・それは違う・・どこから仕入れた?新島か?それとも・」
 「あれっ違うのか。え〜と・・すいーと・とらっぷ?だっけ?」
 「そっちのがまだ・・いや。誰から聞いたんだよ、その単語。」
 「借りた漫画に書いてあったのだよ?・・喜ばせることじゃないの?」
 「トラップってのは仕掛けとか・・罠だ。良い意味じゃあねえから。」
 「そうなのか〜!だってここ甘いお菓子の待ってる家なんだもん。」
 「そ・・うだとしてもだ、それ使うんじゃねえ。誤解されるから・・」
 「誤解って?誰が?困ること!?」
 「ごほっ・・あのな、ぶっちゃけていうと俺がお前を・・う、つまり」
 「??なっちがほのかをなあに?お菓子で・・あっわかったじょっ!」
 「!!?」
 「捕まえて魔女にするの!?ほのか魔女なりたい!歓迎なんだじょ!」

大きな瞳は一層キラキラと輝きを増し、ほのかはぴょんぴょん跳ねた。
罠に掛かったウサギが食われるとわかっていて喜んでいるかのように。
口をあんぐりと開けていた夏もどうにか気持ちを持ち直しお茶をすする。

 「魔女になってどうすんだ・・俺は魔女じゃねえぞ。」
 「そうなの?!なんだ・・まあいいじゃん。つまり仲間入りでしょ。」
 「仲間・・入り!」
 「ヨロシク頼んだのだ。ちみとほのかはお仲間なのだ!楽しいねっ!」
 「・・・はは・・まぁ・・そういうことで。」
 
ほのかの無知に救われるというのも実はこれが初めてではなかった。
今回も危機を脱したと見た夏は背中の冷たい汗と共に安堵の息を落とした。

 「もうお仲間は増やさないのかい?」
 「俺はお前で手一杯だ。勘弁しろ。」
 「ふ〜ん・・そうかあ・・なっち忙しいもんね。」
 「やっとわかってくれたか。」
 「ほのかもなっちを喜ばせたいのだけどなあ・・」
 「お前はもういいから!料理も掃除も十分だと言ったろ!」
 「なっちが自分でするようになっちゃったもんね。えらいじょ。」
 「そうそう、お前のおかげでな。」
 「でもさ、たまにはお返ししたいんだけど。」
 「俺はいらんって・・菓子も食うよりお前に食わせる方がいいし。」
 「無欲じゃのう。ほのかになんかしてほしいことってないのかい?」
 「だから十分だ。いいから何もしようなんて考えるな。」

本気の辞退を申し立てる夏にほのかは近付き、不満気な顔をして見上げると
ぴょんと座っている夏の膝の上に乗っかった。夏の鼻先に甘い香りが迫った。
なぜほのかは甘い香りがするのか。自分が食わせているせいなのかと思うが
食わせてやるようになる前からいい香りはしていた。夏は思い出してみる。
膝の上に乗ったほのかはぼんやりしている夏を振り返ってみた。顔が近い。

 「なにしてるの?ほのかくさい?ちゃんと洗っておるじょ。」
 「いや!・・なんか甘いにおいがするな・・って・・だな。」
 「そりゃおやつのせいでしょ?お仲間だからなっちもじゃない?」

ほのかは言ったことを確かめようとして膝上で向きを替え夏の頭を掴むと
それこそ犬か猫のようにふんふんと匂いを嗅いだ。驚いた夏はとっさに
目の前の細い腰を掴んでしまったが、あんまり細いのに慄いて手を引いた。

 「なっちもいいにおいなのだ。うん、ほのかなっちのにおい好き!」
 「そ、そうですか・・」
 「なんで敬語になるの?」
 「わかったから離してくれ。」
 「うん?離した。顔赤いね?」
 「匂いを嗅ぐなんてことするなよ・・俺以外には。」
 「おっとなっちの”俺以外ダメ”が出たのだ!は〜い、わかったじょ!」
 「そんなに色々ダメだしして・・ねえと思うんだが。」
 「なにをおっしゃる。結構あるじょ。腕につかまること、ひっつくこと。」
 「あ、ああそれは・・言ったな。」
 「それからお菓子はここで食べるようにってのと、スカートで跳ねない。」
 「丸見えになるからだろ!特におっさんとか野郎の前では厳重注意だ!!」
 「はいはい・・それから宿題は全部なっちがみる。それとそれと・・」
 「結構あるな。」
 「そうでしょ!?」
 「・・・俺って面倒くせえな。」
 「いいよう!ほのかも助かってるのだ。」
 「そうか・・」
 「水臭いこといわないの。お仲間じゃないか。ねっ!?」
 「ウン・・」

いつの間にか立場が逆転していることに夏は気付いた。これではまるで
スイート・トラップにはめられた獲物ではないか。そしてもう遅いのだ。
逃れられない甘い罠に囚われていてこんなにも満足しているのだから。

 「ほのか。」
 「なんだい?」
 「膝上にもだが・・俺だけにしとけってのがもうひとつあっただろう?」
 「まだいっぱいあったかもだよ?・・すごく重要なやつ?えーっと・・」

夏の一度引っ込めた手がほのかの頬に伸びてきてほのかははっとした。
にこっと笑顔を浮かべ「わかったじょ!」と返事をすると夏も微笑んだ。

 「そうだ。ぜったいだからな。これだけは・・」
 「らじゃっ・・!」

ほのかは目をつむって肩をすくめた。身構えた頬に夏の唇が優しく乗る。
こんなことは誰にもさせてはならない。夏とほのかだけのルールなのだ。
今のところ頬と額に限定されているが、範囲は歳ごとに更新される予定だ。
具体的な提案は未だ。だが時間の問題だと夏は考えた。日毎に甘い香りが
強度を増してくる。我慢は得意なのだが遥かに先でも見通しくらいは持ちたい。

 「また作るから、食いに来いよ。」
 「もちろんさ。そうだっ!ほのかも”お返し!”」

思いついた勢いでほのかの唇が夏の頬に返された。柔らかくて蕩ける心地。
罠だろうがなんだろうが、抗う方が愚かだ。それくらい威力は半端ない。

 「お前からのお返しは控えめにしろ。でないとマズイことになる。」
 「マズイって?どうなるの!?」
 「お前の兄貴とか父親とかに殺される。」
 「ええっ!?タイヘンだよ!しないでガマンするのだ。」
 「これもあれだ、隠しておいて見つけるのがいいんだ。」
 「どうゆうことさ?・・ちゅーは秘密ってことお・・?」
 「それもそうだが・・まあいい、お前はわからなくても。」

おまけだとほのかの頬が音を立てた。お楽しみはたくさんあった方がいい。
甘い仕掛けも誘惑も。これはまだ十分に足りているとは言えないのだ。







甘いのを!甘いのが足りない!!で、がんばってみた結果・・です!(^^;