「悪魔の誘惑」 


もうずっと以前にも悪戯して怒られたっけなぁ。
見つけた黒い衣装一式はあのひとの闘いの装束。
私は今よりちょびっと小さかったのでその時はコートだけ拝借した。
大きな黒いコートはフードを被ると照る照る坊主みたいだと思った。
私の足元まで届くほど長くて所有者の背の高さを再認識した。
うっすらとその持ち主の匂いがしてくすぐったかった。
好奇心と遊び心から着てみたわけで、何故あれ程怒られたのか?
今回は上着も着てみた。長いので下は穿かない、大きいし。
上着の長さで丁度下着が隠れるのでそれでいいことにした。
このウチの洗面所の鏡はウチの倍以上は大きいのでそれで姿を確認する。
うん、中々似合ってるじゃん!私は思わず微笑んでポーズを取ってみる。
今回はこちらから見せに行って驚かせちゃおうと思いついた。
そうと決まれば早速廊下を渡ってあのひとの処へと向かうのだ。
できれば後ろから近づいて目隠ししたいんだけど・・さすがに無理かな?
私はその後を想像してわくわくしながらフードの下で笑いをかみ殺した。



居間で本を読んでいたオレはあいつが戻って来ないのを不審に感じていた。
しかし家の中でもあるし、探す程でもなかろうと再び手元へと視線を戻した。
するとそう思った途端に居間のドアの向こうに気配を感じた。
確かに気配はあいつのものだが可笑しなことにドアは開けられない。
”あいつ、何やってんだ?!”
しばらく様子を窺っていると、慎重にドアを開ける音が微かに聞えてきた。
オレの座るソファからは直接ドアの方向は見えない。
気付かない振りで動向を探ると息を潜めて近づいてくるのがわかった。
さてはオレを驚かせようとでもしているんだろうと予想を付けた。
出会った頃と比べて見た目は変ったが中身は相変らず子供っぽい奴だ。
何の警戒心もなく家に入り浸り、好き放題にしてオレを翻弄し続けている。
あいつの兄や両親すらもオレを信用し、こいつのオレんち通いを止めようとしない。
だがあれから月日も経って、いつまでも子供じゃなくなってる、少なくとも身体は。
少しはヤバイと感じてもらえないだろうかと特にこいつ本人にそう思う。
オレは兄じゃないんだと、何度言ってもわかってはくれない。
それどころかいつまでも子供っぽいのは過保護なオレのせいだとかぬかしやがる。
いまや天然の無邪気さも罪になる。わからせるのは苦労の連続だ。
どうしてこうまでしてオレが苦労しているかと思うと少々腹が立つ。
こんなことになったのは今オレの背後から忍び寄っているこの馬鹿娘のせいだ。
・・・なんでこんな馬鹿娘にオレが・・・なぁ、楓。
つい亡くした妹に愚痴ってしまった。こいつを妹と割り切れてたらそれでよかったのに。
結局のところ、そうできなかったオレのせいなんだ、わかっててもつい零したくなっちまう。
溜息が出そうになったが、気付かない振りを続けるためにそれを飲み込む。
嬉しそうな気の漂うそいつの手がオレの後頭部から回り込むのをすかさず捉えた。
「うわっ!びっくりしたっ!!」オレの背中で驚いた声が上がる。
両手をオレに掴まれたせいで慌てているのだ、ここまでは予想通り。
「おまえ、何やってんだ?オレが気付かないとでも思ったのかよ。」
「ちぇ〜っ・・やっぱ無理かぁ!」
大人しくなったので手を離して振り向いたオレは危うくこけそうになった。
不意打ちをくらった、ほのかのその格好は予想外だったからだ。

「へっへ〜、じゃじゃーん!!見て見て、私強そう?!」

得意気に見慣れたオレのコートを広げると、悪びれもせずに言う。
哀しいことにオレは口を開けたまま間抜けな顔で数秒間固まった。
服の割れ目から覗いた白い肌とか、上しか着ていないために惜しげなく晒された脚とか、
眼がそれらを追ったことは認めるが、数秒で我に返って冷静さを無理やり呼び戻した。
これらは訓練の賜物だ。やはり天才があったとしても修行は大切だと痛感した。

「あり?・・ねぇ、なっつん。なんとか言ってよ?どしたの?!」

「・・・どしたの?・・じゃねーっ!!!」

「うわわ、何なに??何で何でさ!?」
「脱げ!それを今すぐ!!」
「え〜!?やらしー!脱いだら裸になっちゃうよぅ・・・見たい?」
「見たくねぇ!回れ右して着替えて来いっつってんだよ!」
「うわ、即答!・・傷つくなぁ。で、なんで怒んの?!」
「・・襲われたくなかったらとっとと着替えろ!」
「なっつん襲ってくれるの?!やったぁ、襲って襲って!」
「・・あ?何言ってんだおまえ。」
「あ、でもちょっと待って。せっかくだから私から襲ってもいい?!」
「せっかく?どういう・・」
「いっくよー!えーい!!」
何を考えているのか嬉しそうな顔をしてほのかはオレに殴り掛かって来た。
そうは言っても子供がじゃれるようなもんで避けるまでもない。
要するに格闘ごっこみたいな遊びがしたいらしいが・・・付き合いきれない。
オレは溜息交じりに細っこい腕を捕らえ、足を払いソファに転がした。
あっという間にひっくり返されたほのかは呆然としている。
「終わりだ。付き合ってられん。」
少しばかり凄んで言ってやったが堪えた様子もなく、唇を尖らせて不満顔をしている。
「え〜?!もうちょっと遊んでくれたっていいのに、なっつんのケチぃ!」
「何がケチだ。そんな格好でじゃれ付くなよ、しまいに怒るぞ。」
「すきありっ!」
ほのかは突然両脚でオレを挟みやがった。すごい眺めで眩暈しそうだぜ。
「ふっふふ、油断大敵。捕まえたもんね!どうだー!?」
「・・・そんっなにオレに襲われたいのか?おまえ」
「だーから、襲っていいよ?って言ってるじゃん!」
「あっそ・・」
「おわっ?!」
「せっかくのお誘いだからな・・」
コートはオレの長年愛用のものなので簡単に剥ぎ取ってやった。
大体オレを挟んでるのはこいつだ、簡単に押し倒せてありがたいくらいだ。
つーか、ヤバイかな・・ちょっと懲らしめてやるだけだ、落ち着け!
オレに両腕を押さえられ、圧し掛かられてさすがのこいつも慌てやがった。
「んぎゃあ〜!なっつんストップストップ!!」
「今さら何言ってんだ?遅ぇよ!」
「ひえっ!?ちょっと、ちょっと、なっつんてば、マジ!?」
「声に色気がないがいい格好だぜ?」
「や、やらしいー!なっつんはそんなキャラじゃないでしょ?!もうちょっとこう・・優しく?」
「することなんざ、どうやったっておんなじだ。」
「な、なんでそんなヤケっぱちみたいなのさ!?こんなのやだー!乙女には夢があるんだよ!?」
「乙女ならこんな格好で男に襲い掛かったりしねーよ!」
「そっか・・でもさ、せっかくこの格好したんなら格闘しとかないと!って思ってさ。」
「せっかくって・・じゃあなんで下着とか脱いでるんだよ、あちこち見えてるのは態とじゃねーのか?」
「え、それは暑いから・・あちこちって今日着てた服と見えるとことかそんな変わんないよ?」
「そういう問題か・・?それと襲うってのは格闘ごっこのこと言ってんじゃねぇぞ?」
「う、うん・・・なんでいきなりそんな気になったのかわかんないけど、いいよ。」
「いきなりって、おまえその格好で・・・態とじゃねーならもういいよ・・・」
何か物悲しいものを感じて身体を離してやるとソファにどっかり腰を下ろした。あーもう頭痛てぇ・・
「ありゃりゃ・・なっつん?もうやんないの・・?」
「やるっておまえな;ちょっと脅かしただけだ、意味なかったけどな。おまえは早く着替えて来い・・・」
「え〜!せっかくなっつんがその気になってくれたのに!?ほのか失敗した?!」
「襲われたがる女は趣味じゃねー!」
「う・・そっか〜、難しいんだなぁ・・!」
「何がっかりしてんだよ、阿呆。無理矢理されるのが好きなのか?乙女なんだろ、おまえ。」
「うん、怖いのは嫌だなぁ。ちょびっと怖かったよ;」
「そっか、なら脅した甲斐あったな。懲りたらやめとけ。しゃれにならんから。」
「・・でもさぁ、襲われたいのと違うけどさぁ・・」
「何だよ・・?」
「なっつんに触りたいとか、その・・き、キスとかして欲しいとかって思うのもダメ?そんなコ嫌い?!」
「!・・別に・・そんなことねぇよ・・」
「よかったぁ!それとさ、格闘ごっこがダメなの?この格好でするのがダメってことなの?」
「そんなことしたいのか?おまえ。」
「あのね、お兄ちゃんがちょっと羨ましいんだ・・男同士ってこう・・・なんか憧れるの。」
「ふーん・・・」
「なっつんに近いみたいでさ。ほのかね、なっつんともっと・・近くなりたい。」
「おまえ・・・天然だよな、マジで。」
「ほのか変かなぁ・・?」
「・・・白状していいか。」
「うん?」
「おまえ隙だらけでいつでもその気になりゃ襲えるし、無理矢理でもオレのもんにできる。けどな・・」
「!?」
「おまえとオレとはそんなに違わない。まだ子供なんだよ・・」
「・・・」
「そんでな、おまえみたいに素直に触れたらそんで満足ってできないんだよ、男だから。」
「・・・」
「だからあまり刺激してくれるなって・・・わかるか?」
「・・・でもさ・・物足りないんだもん・・ほのか欲張り?いやらしい?」
「いやその・・嬉しいけど・・はぁ・・困ったな。」
しゅんとなったほのかを見てると可哀想になってきて結局手を伸ばしてしまった。
ほんの少し啄ばむように口付けて離れるとほのかは真っ赤に染まった。
「おまえ真っ赤。」
「ふ、不意打ちだからだもん。こんくらい・・平気・・じゃないけど・・」
「オレも平気じゃない。」
「!?」
ソファの横でへたりこんでいるほのかを引き寄せて胸に耳を押し当てる。
「・・うわ、どきどき・・」
「・・だろ?」
「ねぇ、なっつん?」
「ん?」
「なっつんがね、まだって言うなら待つけどさ・・」
「・・・どきどきしておかしくなってもさ、やっぱりキスとかしたいなぁ・・?」
「・・・そっか・・」
「うん・・・ダメ?」
「反則ばっかだな、おまえ」



誘惑にとうとう抵抗しきれず、本気の口付けに二人して我を忘れた。
夢中になって気持が抑えられなくなるのが怖いんだよ。
おまえを独占して閉じ込めさえしてしまいそうだから。
大人になったら余裕が生まれるのかどうかわからない。
だけど、おまえが悦ぶんならどんなことでもしたくなる。
どうしてそんなにオレを誘うんだよ・・・オレの想いを見透かしてるみたいに。
ほんとうは誘ってくれて嬉しいんだよ、後先考えずに溺れてみたいんだ。
そんでもダメだろ、おまえを護らないと。そう誓ったから。
何も心配しないで夢中になれるそのときまで、めちゃめちゃにしちゃいけないんだ。
それまでオレの傍に居てくれるかどうかわからない、それでも。
おまえの笑顔が一番大切だって・・・わかってるから。



「痛っ・・」
「なっつんごめん、血が出てる!ひっかいちゃってごめんね。」
「平気だよ、舐めときゃなお・・っておい!」
「治る?もっと舐める?」
「おまえは〜!煽るなってんだよ!・・・おかげで止まれたって思ったら・・」
「へ?何?!痛そうだね・・やっぱりもっと舐めたげようか?」
「はぁ・・・やっぱオレの方が分が悪いぜ・・」
「よくわかんないけどごめんよ、なっつん。」
「とにかくまずはその格好なんとかしてくれ。頼むから。」
「これさ、全然そんなつもりなかったけど・・ヤラシイ?」
「そうとうヤラシイってんだよっ!」
「難しいんだねぇ、どうだっーて思うときはいつもうまくいかないのに。」
「おまえの場合かなりずれてるかもな・・・」
「でもさ、いっぱいキスできて嬉しかった。またしてね、いっぱいいっぱいね?」
「・・・おまえ、オレのこと虐めたいのか?」
「ううん?なんでよ、なっつんもしたくない?!」
「危機感なしだな・・・いつか倍にして返してもらうからな・・」
「ええっ!!ホント!?すごい楽しみーv」
「そんならずっと・・・」
「何?」
「なんでもねぇ!」
「ずっと傍に居るよ、離さないで。」
「・・・うっせ・・」
「なっつん、泣きそうじゃん!?心配しないで、ほのかずっと傍に居るから。」
「泣いてなんか・・いねーよ・・ばぁか・・・」


どうしておまえはオレのとこに来てくれたんだろうな。
なんでまとわりついて離れないで居てくれるんだ。
何回抱きしめたってどれだけ口付けたってきっと足りない。
いつか思い知らせてやる。どれだけおまえを想っているかを。
それまではどれだけ悪魔みたいな誘惑してきたって負けないからな。
今日もオレはまたうっかり流されそうになる自分に言い聞かせる。