紫陽花と雨 



夏への扉を開く鍵、若しくは合言葉を持つ者があるとするならば
水色に染まる目の前の少女に違いないと夏には迷いなく感じられた。
細かい霧のような雨に煙るほのかは淡い紫陽花の精そのものだった。
目を細め予感に浸る夏。季節の夏に期待を抱くのも初めてだった。





 夏とほのかは待ち合わせもせずに紫陽花園で会い、二人で佇んでいた。
一つ一つの種を検分して歩きながら瞳を輝かせるほのかに夏は見惚れる。
想いが実現したことを確信した。夏はここにほのかと訪れたかったのだ。

 「綺麗だねえ・・それにこんなにたくさんの種類があるんだね!」
 「・・だな。俺もさっきはほとんど見てなかったから驚いたぜ。」

 夏の台詞は先の仕組まれた見合いが不本意であったことを示していた。
それが自然と夏の口から零れたように感じられ、ほのかは口元を弛めた。
紫陽花を見て自分を思い出してくれたことも思い出すと面映い気もする。
ほのかはしっとりと湿気を含んだ花々の美しさを心の隅々まで堪能した。
そして”気紛れ”とも称される花に同情めいた愚痴を零すのだった。
 
 「素直なんだよねえ、色んな色に変わるのってさ。」
 「紫陽花がか?まあ、そうかもな。」
 「そうだよ、気紛れなんかじゃないさ。ヒドイ言い掛かりだよ。」
 「お前が怒ることもないだろ。花言葉とかいうやつか。」
 「うん、気紛れ以外にもいろいろあるらしいけどねえ。」
 「・・そんなことよりなんか気に入ったのはあったか。」
 「あった!青くて透明でなっちみたいに綺麗なの!」 
 「俺を花なんかに喩えるな。」
 「誉めてるのに。」
 「素直で色んな色になるっていうならお前だろ。」
 「え、ほのか?」
 「どっちかってえとお前は向日葵って気もするが。」
 「どっちも好きだよ。」
 「どうでもいいがな。」
 「なっちはどっちがすき?」
 「う・・俺は花は・・」
 
 言い難そうな様子にほのかは思い出した。夏は以前花が好きではないと言ったことを。 
彼の大事な妹の話が出た時だ。昔を思い出すのかもしれないとその時訳は聞かずにいた。
鳥も花も何でもほのかが見たければ叶えてくれる夏だが、彼自身は見たくないのだろうか。
急に不安になった。辛いことは殊更隠そうとする夏だ。その想像は当たっている気がした。

 夏はほのかから目を逸らしていた。だからほのかの変化に気付くのが遅れた。
「花に興味ない」と呟くと、ほのかの顔を見ないままでそっと小声で付け足した。

 「お前が花を見るのを横で見てる方が面白い。百面相が拝めるからな。」

 咄嗟に浮かんだ言い訳はとって付けたようだが実は夏の本音でもあった。
なんとなく気恥ずかしく感じる告白の後、ほのかのことを窺ってみて驚いた。

 ほのかがはらはらと涙を落としている。雨粒と見紛う透明な光が頬を伝っていた。
感情のふり幅の大きいほのかが泣くにしてはあまりに静かで悲しげだったので息を呑む。
その涙の訳が夏には理解できない。自分のせいかもしれないと思うだけで罪を意識した。
珍しく動揺が表に出てしまい、夏はしどろもどろな自信のない声になった。

 「ほのか・・その・・どうした・んだ!?」
 「え・・あ・・涙だ・・」 
 「泣いてるのに気付いてなかったのか?」  
 「うん、ほのか悲しくなんかないもの。」
 「なんでだ!悲しくないなら泣くなよ!」

 夏は苛々したように強い口調で咎めた。ほのかはそれに構わず涙を拭う。

 「・・なっちが悲しいときのことをちょっと思っただけだよ。」
 「俺は何も悲しんでないぞ、お前だってさっきまで笑ってたのに。」
 「ほのかのために無理してない?悲しいときは泣いていいんだよ。」
 「悲しくもないのに泣けるか。俺のせいで泣いたりするな。」
 「なっちのせいじゃないさ。けどさ、いっぱい泣いたほうがすっきりするよ?」
 「生憎だが俺は泣いたりしねえ。」 

 「じゃあ・・ほのかが泣くよ!泣けないなら泣き方教えてあげる。」
 「やめろ!俺はお前が泣くのなんざ見たくねえ!すぐに泣き止め!」

 腹立たしげに言葉を荒くする夏にほのかが近づき、両の手を開いて伸ばした。
怖れるかのように夏が後ずさる。ほのかは躊躇せず夏との距離を縮めていった。
諦めたのか受け入れたのか、立ち尽くす夏にほのかはとうとうその手を触れた。
背の低いほのかが夏を抱き寄せると腰に縋り付いたようになる。夏は両手を挙げ、
降参したような格好になった。ほのかが押し当てた腹の辺りが熱い。

 「泣くな!お前が泣く必要がどこにある!?」

 畳み掛けるように泣くなと怒鳴る夏にほのかは無言で首を振る。

 「なあ・・泣くなよ・・頼む。」

 夏の声は懇願に変わった。声も普段あまり崩さない表情も辛そうに歪んだ。
そんな弱りきった夏にほのかはゆっくり顔をあげ、真っ直ぐな眼を向けた。

 「ほのかは泣きたいとき泣くよ。なっちが泣けないならその分も泣いてあげる。」

 涙声ではなくきっぱりとした声だ。夏に抱きついたまま背筋を伸ばす。

 「いっぱい泣いたらすっきりするし!ほら、梅雨が明けたらすごく青い空になるじゃないか。」
 「そうしたら夏が来るんだよ!ねえ、ほのかの大好きな、キミの名前の季節じゃないか!?」

 まだほのかの目尻や頬には涙が光っていた。けれどほのかはそこでにっと笑った。
雲を払い太陽を呼ぶような大らかな笑顔。夏の季節に相応しい満点の笑顔だった。
夏はしばしほのかに見惚れた。その目映さに魂を奪われていたのだ。
 
 「・・そうかよ・・なら好きなだけ泣いてろ。俺は・・俺もいつかは」

 泣ける日が来るかもしれないと夏は思った。その時ほのかが一緒にいてくれるならば。
 
 予感は確信に近いものだった。夏という名の季節も待ったことはないが期待を押し込め
芯では望んでいたのかもしれない。素直な自分も暑い季節も相応しくないと諦めていた。
夏はゆっくりと浮いていた腕でほのかの背を抱いた。温かい予感を確かめるように。
 
 「夏が来るのが楽しみか?」
 「うん!でも梅雨も紫陽花も好きだよ。夏も大好きだけど。」
 「そうか・・」
 「夏が一番って言ってほしかった?」
 「別にどっちでもいいが。」
 「嘘だね!夏が一番好きって言ってほしいんだ!そうでしょっ!?」
 「んなこたねえ!」
 「うそつきっ!!」

 ほのかはなじりながら嬉しそうだった。夏にしがみついて素直になれとせがむ。
「そんなことできねえ」ともがくように言う夏にさっきまでの辛い表情は消えている。
じゃれるように抱き合って文句を言い合っていると空に光が差したのに二人して気付く。
霧雨が降っていたのだ。夏とほのかは同時に空を見上げて「雨、上がった?」と呟いた。

 「雨なんて降ってたっけ?」
 「あ!お前肩出してんのに寒くなかったか!?」
 「うん、平気だよ。」
 「迂闊だったぜ。俺の上着着てろ、今からでも。」
 「やだよ、ぶかぶかだもん。かっこわるいじょ。」
 「風邪引くよりマシだろ。我侭言うんじゃねえ。」
 「風邪なんか引かないよ!べーだ。」
 「っとに言うこときかねえなお前は・・兄貴の命令ならきくくせに。」
 「お兄ちゃんは絶対だもん。なっちは・・」
 「どうせ俺は二番目だ。・・・二番・・か?まさかもっと下とかじゃ」
 「ぷっーーっ!!ううん、ウソ!なっちも一番だよ!」
 「それこそ嘘だ。兄貴の次なんだと正直に言え。」
 「ウソじゃないもん。なっちとお兄ちゃんどっちも一番好き!」
 「どっちもなんて・・まぁ・・信じてやらんこともねえが・・」

 ほのかがふふっと楽しそうに零す笑みに涙はもうなかった。それを見てほっとする。
花も空も雨も虹も・・・ほのかがそこにいるなら美しく季節を飾る。それは真実だと
夏は思う。そして涙も、見たくないと思っていたが綺麗だったと心の奥に仕舞い込んだ。







いちゃいちゃしてることに周囲の視線で気付いて夏君だけが恥ずかしがるのです。
※6月24日数箇所改稿しました。><;