Accident  


 見る間に顔が真っ赤に染まったので思わず見惚れた。
口元を押さえ、固まった大きな体。ほのかは目をみはる。
狼狽振りに却って冷静になれる場合があるがそれだった。

 「なっちだいじょうぶ?・・ごめんね、勢いあまってさ。」

ほのかの労わるような口調は落ち着いてごく自然であった。
己の失態をその言葉で思い知った夏は赤い頬を更に深めつつ

 「誰に云ってんだ!こんなことくらいどうってことねえ。」

否定の答えが痛々しかったが夏は耐えた。ほのかはというと
幸い気に留めた様子はなく「ならよかったのだ。」と笑った。
しかしあまりに普通な態度であるほのかに対し疑念が生じた。 

 「っていうかお前だろ?大丈夫・・そうではあるが・・」
 「え?ああ、うん。平気。なっちでよかったよ。ホント!」
 「・・お前その・・初めてじゃないのか?」
 「うん?初めてだよ。なっちはすごくそれっぽい反応だったね?」
 「お・俺はほっとけ。お前それ・・いやしかし・事故だからな。」
 「そうそう、だよね!びっくりしたけど意外と大丈夫だったよ。」
 「ほんとに大丈夫なのか?」
 「ホントホント!そんなに気にすることないさ、なっちー!」

ほのかの言葉も態度もいつもと変わりなかった。それに夏はほっとして
多少の落胆と失態への羞恥と一抹の不安を胸に仕舞い込むことにした。
ところがである。翌日からほのかが家にやって来ない。連絡もなしだ。
不安が増した夏は不本意ながらほのかの兄に打診してみることにした。

 「・・・おい、お前の妹・・元気にしてるのか?」
 「ほのか?ほのかのことなら君の方がよく知ってるんじゃないの?」

舌を打って兄の傍を離れた。邪推を怖れたからだが相手が相手だ。

 「何かあったわけ!?ちょっと、夏君!何したのっ!?」
 「何もしてねえ!ちょっと来ないから体調でも悪いのかと思っただけだ。」
 「そうなの?・・わかった、母さんに電話で訊いてみるよ・・・」

 兼一が家に確かめたところ、ほのかに特別変わりはないとわかった。
とりあえず兄ともども夏は胸を撫で下ろすが、心配の方向が固まった。
 
 「というわけで、夏君!どういうことか説明してくれる!?」

夏がどれだけ臍を噛んだところで兼一が許すはずもなく、結局打ち明けた。
数日前にいつもの夏の自宅において起こったアクシデントについて。

 「な〜つ〜く〜ん〜〜!!?」
 「言っただろう!俺の方が慌ててほのかが心配するくらいだったと。」
 「それは君があんまり慌てるから表に出せなかっただけじゃないか!」

そこは夏自身そうと疑っていた為黙り込む。兼一の怒りはもっともだが
心配するべきは兄の怒りの対処よりほのかである。事後報告を余儀なくされ
渋々承知した夏は、その日の放課後ほのかの学校へと足を運ぶことにした。

 どこの学校も似たり寄ったりだが、夏はいるだけで人目を引いてしまう。
わらわらと寄ってくる主に女生徒達をやんわり遠ざけながら思案していると
ほんの数日会わなかっただけなのに随分久しぶりに見る顔を見つけ懐かしい。

 目が合った。いつもならほのかは喜んで夏に駆け寄ってくるところだ。
ところがほのかはびくんと固まってしまい、それを見て夏も身を硬くする。
ほのかは距離を置きたいのだ。そうと解った夏は黙って立ち去ることにした。
ゆっくり取り巻きから離れて学校を出た。途端に物悲しい想いに包まれた。

 年頃の娘の初めてを奪ったわけである。それが事故であったとしても。
これで毎日のように続いたほのかの訪問もお仕舞いかと思うと呆気ない。
すっかり忘れてくれればそれでいいと思いつつ、夏の心は重く沈んでいく。
ややゆっくりな歩調だった夏はいつものペースに戻す段になって気付いた。
数十メートル後方にほのかがついて来ていることに。

 仲直りなのか、完璧な別れか、あるいは距離を置きたい旨の告白か。
幾通りかの予想が頭を駆け巡る。夏はまず振り向くか立ち止まるかで迷った。
距離はきっちり守られていて縮まらない。決心がつかないのかもしれなかった。
付き合うように歩調を合わせ、夏は普段よりかなり遅めにゆっくりと歩いた。
背中に感じるほのかの迷いが夏を立ち止まることも振り返ることも許さない。
迷いが伝わってくると夏も心が揺れる。何かが変わってしまった。

 やがて自宅近くなって突然ほのかが立ち止まった。夏もそれに倣う。 

 振り向くか否か躊躇していると、走って向かってくるのが解った。
真っ直ぐに全速力だ。夏はぶつかる寸前に振り返った。案の定勢い余って
飛び込んできたほのかを抱きとめるとほのかも夏にしがみついてきた。

 「なっちー!会いたかったよう!!」
 「え・・会いたくなかったんじゃないのか?」

 顔を見せず夏にしがみついたままでほのかはぐりぐりと首を横に振った。
ほっとしたのと意外な言葉に夏はほのかに屈み込む。顔が見たかったのだ。
しかしほのかが背けてしまう。不自然なくらいはっきりと顔を横に向ける。

 「会いたかったんなら顔見せろ。なんで会いに来なかったんだよ。」
 「・・だって・・」

 声が小さくて夏は一層顔を近付けた。すると悲鳴と一緒に両手が伸ばされ
夏の顔を覆い隠した。ほのかの両手が盾である。仕方なく顔を引いてやる。
 
 「会いたいけど思い出しただけでも顔が真っ赤になっちゃうんだよう!」
 「・・・・思い出すってあれか?」
 「ぎゃーっ!言わないで!それに顔近付けたらダメ!だめなのお〜っ!」

 どうやら照れているらしい。よく見えないのだがほのかは赤い顔をして
目をきつく瞑っている。夏の顔を近くで見たくない、見ると大変ということだ。

 「あれは事故だと云っただろ?お前が嫌がることはしないから心配するな。」
 「いいいいい・・」
 「い?嫌なんだろ、わかったわかった。事故も起こさないようにするから。」
 「いやじゃないよう!じじじこ・じゃなくって・・ホントのがよかった・・」

 最後の一言は小さくて消え入りそうだったがしっかりと夏の耳に入った。
すっかり上がった。ほのかの動揺が体を通して夏にもダイレクトに伝わる。
そこへそんな告白をされたのだ。夏はすっかりのぼせてしまい己の顔を手で覆った。
夏が黙ってしまうとほのかもふとそれに気付き、そうっと目を開けてみた。すると
あのアクシデントの後と同じように赤く染まった夏がぼうっとして立っている。
片手で顔の半分を覆っているが赤いのは間違いない。まるで風呂上りみたいだった。

 「なっちって・・反応が乙女だよね?」
 「はあ!?バカ云ってんじゃねえよ!」
 「可愛いじゃないか!こっちの立場ないよ。」
 「なに云って・・可愛いのはお前だろうが!」
 「ふえっ!!?」

 夏の口からストレートに可愛いと聞いたのは初めてでほのかは飛び上がった。
云ってしまってから夏もしまったと思ったらしく、顔を顰めていたがもう遅い。

 「いや・その・・だから・・どうしろってんだ。」
 「う・と・・だからあ、あんまり顔近付けないで・・」
 「わかった。そんなんでいいならそうするぞ。」
 「あの・・あとその・・もうちょっと平気になったらさ、」
 「?」
 「じじじこちゅーじゃ・・なくってその・・・本気の・・」
 「んなもの・・お前が・・いつだって・・いくらでも・・」

 二人して路に突っ立って真っ赤な顔をしているとどこかで犬の吼え声がした。
辺りは夕焼けに染まっていてカラスや雀も遠くで鳴いていた。根城へ帰るのだ。

 「もうお茶飲んでいく時間ないかなあ・・なっちのオヤツ食べたかった・・」
 「食っていけばいいだろ。送っていくから。」
 「いいかな、一杯だけ。」
 「一杯も二杯も変わらねえよ。」

 そうかと笑ったほのかと久しぶりに目が合った。二人同時に顔を背ける。
ぎこちなく夏から手を離すほのかに、夏も抱き寄せ掛かっていた手を引いた。

 「じゃあ・・いただくのだ!なっち。」
 「ああ、わかった。美味いお茶淹れてやる。」

 ほんの少し、いつもより間を空けてほのかが夏の自宅へと歩き出した。
今まで気付かなかった二人の距離を始めて意識した。夏もほのかもだ。
ほのかは手を伸ばしてみた。夏は背中を向けたままだったが手を繋いで
くれたのでなんだか嬉しくて大きな背中に向けて微笑んだ。

 「うん、やっぱり・・会えてよかった。」

 呟きを背中で聞いた夏は心の中で ”そうだな” と肯いた。







わーん!久しぶりに書けたーー!と感動してますv
※11・4 ラスト一文改稿しました。