「A」 


 なんの気なしにほのかは夏の膝にのった。
夏が表情を変えぬままお小言もないのをいいことに
どっかりと腰を落ち着け、体を丸めて眠ろうとした。
さすがに腹に据えかねたか僅かに夏の眉間が狭まる。

 「ほのか、俺の上で寝るなと言ったはずだ。」
 「・・眠いんだもん、おやすみなっちぃ・・」

聞く耳持たないほのかの言葉に小さく舌を打った。
3秒も経たないうちほのかの息が整い始め重みが増す。
猫のように安らかに入眠した体を夏はそっと抱いた。
身動きできない為ぼんやりとほのかを観察し始めた。

ほんの少し体重が増えたようだ。髪はいつもよりはねておらず
前髪が伸びたなと指先でひと房程除けてやった。シャンプーは
同じ香り。おそらくボディソープも以前と変わっていないらしい。
爪はどうだろうと視線をやると少々これも伸びていると思う。

 ”・・起きたら前髪と爪も切ってやるか・・”

ほのかが本当に飼い猫なら、それも自然な発想かもしれない。
しかしほのかは夏の猫でもましてや娘でもなく妹ですらない。
自分が如何にほのかを飼いならそうとしているかを思い知る。

 ”美味い飯を食わせてやって健康を気遣って・・”

例え親代わりとしても過保護に過ぎる。やはり尋常じゃない。
逆に夏はほのかに飼い慣らされていると見えなくもないだろう。
仲がいいとかそんなレベルじゃない。テリトリーを共有し、
爪の先まで支配しようとしているのだ。危険極まりない話で
よくよく白浜家の親たちは呑気者なのだ。兄もそうだったが
さすがに危機感を嗅ぎ取るようになったほのかの兄兼一は
妹にこれ以上近付くなという警戒色を盛んに示すようになった。

 ”あいつはなんにもわかっちゃいねえ”

ほのかの髪を梳きながら夏は苦い想いを奥歯で噛み締めた。

 ”ほのかがこの一瞬の後にだって出て行けば終いだ。”

なんの約束もない二人の関係。夏がどんなに喉から手を伸ばしても
実際に拘束したりできない。これが猫なら諦めもついたのだろうか。
夏の隠し留めている本心にちょっとでも気付いたらほのかはおそらく
二度とここへは来ない。それこそが怖くて拘束できないのであるが。

 ”俺が兼一の立場なら当然引き離そうとするだろう”

大切な妹をわざわざ猛獣の檻に放り込む兄など通常不在であろう。
時は貴重だ。過ぎ去るのは早い。消えてしまった後のことを考える。
ほのかの成長を傍で見ているからこそ、何度も何度も考えてしまう。
あとどのくらいか。引き留めることは可能か。その手段と方法は?

 「・・うにゃ・・なっち・・おなか・・いっぱ・・い」

ほのかの寝言で思考が途切れる。三時に食わせたものが重かったか
量が過多であったかと反省する。消化不良にまでは至っていないと
顔色から確かめる。夏は尋常でない己に薄々気付きつつ開き直る。
どれだけ尽くそうが結果は同じということも承知しているのだから
好きにさせてもらうのだと。最早ほのかのことを考えない日はなく
選択肢は自ら狭めてしまった。後戻りも不可。どうしようもない。



 ほのかは夢を見ていた。起きると大抵忘れているがよく見る。
いつの間にかその夢の登場回数を増やして常連となっているのが
夏なのだが、よく幼い子供の姿をしている。とても可愛らしい。
よく知っている現在の夏と違って素直で表情も豊かなのが嬉しい。
どうあっても今は見られない頃に会えるのは楽しみの一つになった。
残念なのはなんとなく夢の輪郭は覚醒時に覚えているというのに
目覚めて数分も経たないうちにどんな内容だったかさっぱり消える。
なんとか夢を記録再生できないものか、発明されないかと悩ましい。

 ”うへへへ・・今日もなっち可愛いのだ!ちゅーしたいぞっ”
 ”って思ってたら逆にちゅーされてしまった!なっちしゅごい”

現実の夏がほのかにキスなどあり得ない。なので嬉しい反面少し
がっかりもする。実際要求したことがあるがあっさり却下された。
もしかすると欲求不満からそういう夢を見るのかもしれないと
指摘されたり思い当たったりで多少面映いのであるが無理もない。
しかし将来的には可能性を否定していない。大いに期待している。
寝ぼけた振りして今日もトライしてみようかと半分目覚めた頭で
考えた。まだ夏の膝の上でゴロゴロしていたいので目は閉じている。
夏は一緒に寝てしまっただろうか。それとも起きているのかしらん?
時々髪を撫でられている気はするのだがそれも夢なのかわからない。

 ”ずーっとこうしてたいなあ・・でも起きないとだめかあ・・”

随分眠った感があるのでそろそろ夏の方から起こすかもしれないと
ほのかはそれを待ってぐずぐずとまどろみの中を堪能し続けていた。

 
 「ほのか」
 ”あー・・起こされた。ちぇえ〜っ”

起きたくない気持ちが行動に出てしまいほのかは夏にしがみついた。
当然それで目が覚めたことが知れ、夏はほのかを引っ張りあげる。

 「こら寝だぬき。起きてんだろ?!」
 ”たぬきなんて失礼なのだ!もっと可愛・・たぬきも可愛いかな?”
 「起きねえんなら・・  するぞ?」
 ”んん?なんて?なっちなんていった?”

夏の言葉を聞き逃したほのかは気になってとうとう目を開けた。
ほのかを引き上げた夏の顔が目の前にあって驚く暇もなかった。

 「「わああっ!!?」」

二人同時に大声を発し、ソファの上で跳ね退いてから座り込む。
ぽかんと開いた口はほのか。珍しく目を瞠っている夏。そして沈黙。
緊迫した場面は長くは続かず、ほのかがふーっと呑んでいた息を吐く。

 「うわあん!惜しい!残念!失敗!?」
 「失敗ってなんだ!なに企んでたんだ!?」
 「そうじゃなくってさあ、今くっつきそうだったでしょ?」
 「くっついてねえよ。・・それが失敗か?」
 「そうさ、ちゅー未遂でしょ?まただよ・・」
 「また・・?」
 「あれ?夢でだっけ?えーと・・こんがらがったのだ・・」
 「莫迦言ってんじゃねえ。もう遅いから帰る支度しろよ。」
 「わかってるよ、それじゃ『おわかれのチュー』して!?」
 「・・『別れたい』ってことか。」
 「・・今日はね?明日また来るけど。」
 「・・・・あっそ」
 「思い出した!夢の中のなっちはちゅーしてくれたんだよ!?」
 「そんな夢見てんじゃねえよ。」
 「だって現実のなっちはしてくれないじゃないか。そ・」

不満を露にして尖り気味の唇に温かい弾力。ほのかは言葉を忘れた。
あまりに一瞬だったので数秒固まった後疑問が沸き起こってしまう。

 「なっち、もう一回!おかわり!!」
 「ばかたれ」

よく見ると赤い頬をした夏がほのかをぺしりと打った。痛くはない。
痛くはないが打たれたおでこをさすりながらほのかは言い募った。

 「ねえねえ、ケチなことしないでもう一回!!」

ゆさゆさと腕にしがみついて揺らすほのか。そっぽむいた夏。
しつこいほのかに夏がようよう赤みを帯びた顔で振り向くと

 「いいのか!?明日から出入り禁止になるかもしれんぞ!」
 「なんで?ちゅーしたら誰が怒るの?お兄ちゃん?」
 「アニキも親だって止めるだろう、俺だって」
 「なっちが追い出すのおかしいでしょ、イヤダよ!」
 「んなこと言うがな、こういうことはなあ・」
 「二人が”どーい”したらアリなんだじょ!」
 「ど・?ああ同意か!同意だと!?」
 「なっちがバカみたい。めずらし。」
 「バカとは何だ、バカはお前だろ!」
 「つまり似たようなものなのだ。そんなことよりさあ!」

 「してしてしてしてしてしてーったらしてよう!」
 「こっ・ばっ・・ほ・・っ・・」
 「なにいってんだかちっともわかんないじょ〜!」

自棄になったみたいに夏が舌を打ち鳴らす。そしてほのかの
胸倉を掴んで引き寄せた。乱暴だがほのかは笑顔を浮かべる。
にっこりと口角を上げたほのかに小さく「目え、とじろ・・」と
言われるままほのかはまぶたを下ろした。今度はしっかり重なる。

 ”わあ・・夢よりずっと・・いいかんじ・・・”
 ”なんだよ、なんでこんなことになってんだ?”

ほのかは夢心地で体がふわふわ浮かぶようで困ってしまう。
夏は急転直下で降り注いだ僥倖で無我夢中の状態であった。
こうなったら今度は逃さないようにする手立てを考えねばならない。
ほのかが望んでくれれば彼の思い描いていた未来は薔薇色に変わる。
とりあえずこれが現実だと二人が自覚するまであともうすこし・・







ご無沙汰のなつほの。いきなりAな話。