禊 



「禊」・・・水辺で身を洗い清め、悪を祓い除く行事。
人の世界においては悪とは罪や穢れを指す。
妖の世界では意味合いを小異とする。
何れの世界であれ、罪や穢れを消し去ること能わず。
気概を高め、迷いを解く為の儀式である。


婚儀を前に白装束の殺生丸とりんは川辺に居た。
妖界の川水は蒼々と二人を出迎えている。
教えられた通り、儀式のため入水する。
冷たく吸いつくような水は身体の芯にまで染みとおる心地がした。
静かに見えた流れは意外にも重々しく身を揺さぶる。
儀式に臨む二人は口を閉ざし、目も閉じたまま祈りを捧げる。
りんは一心に祈り続けた。願いを叶えるために。


「迷いを払う?」
「そうです。そのために行うのです。」
「結婚前は将来のことなどを含めて誰しも不安を伴うものです。」
「”契”も控えておりますゆえ、お身体も清めるのは勿論ですが。」
「つまり、妻となる心構えをするのです。」
説明を受けながらりんはいよいよ目の前に迫った婚姻の儀に緊張を感じた。
「契」とは、夫婦として初めての交わりと聞いた。
「”ちぎり”って痛そうな言葉だね?と訊くとやんわりと微笑まれた。」
「初めは少々辛う感じられるかもしれませぬが、慣れまする。」
「ふうん・・・それで、川ではお祈りするのね?」
「はい。」
そんなことを思い出しながら、心強くありたいと祈った。
あの妖と一秒でも長く共に居られますようにと。
傍に居る間に自分にできることは全てしてあげられますように。
水はその祈りを流れに乗せて静かに煌いていた。



儀式が全て終ったあと、りんはまた新たな白い衣装を着せられた。
残すところは「契」のみであるがぽつんと取り残されたようにその場に居た。
色々と今日のことを振り返ってみる。大きな失敗は無くて安堵した。
しかしほっとしたせいか疲れも感じている。禊で身体がだるくなった気もする。
この場所がこれから二人が夜を過ごすところかあとぼんやりと思った。
広くて静かで今は夜だから暗くてちょっとコワイな、と思いつつ辺りを見廻す。
当然なのだが褥は一つきりで、これまた白いので妙に目立つ。
妖用なのか控えめな香が焚かれているが、人のりんにはあまり感じられない。
灯は点っているのだが仕切られた帳の向こうなのでりんには暗いと思う。
「なんだか眠くなってきちゃった・・・」つい出てしまった声がやけに響いて驚いた。
”わー、自分の声でびっくりして目が覚めた!”とりんは狼狽した胸に手を当てた。
「りん」
突然の呼びかけにりんは文字通り飛びあがった。
「わっ、せ、殺生丸さま。ご、ごめんなさい、ぼんやりしてて・・・」
りんは驚き慌てたのが恥かしく、俯きながら謝罪した。
「緊張するな、・・痛い。」
りんが俄かに身構えたとき起った緊張を夫となる妖は刺す様に感じたらしい。
「え?りん、緊張してる、かな?!」
少し緊張が解れたと感じて妖も安堵したような表情になった。
「・・・川で何を祈っていた?」唐突な質問が降ってきて、りんはまた少し驚く。
「あ、禊のとき?」りんは笑顔を見せて訊き返した。
沈黙の肯定を受けて、りんは「あのね、殺生丸さまと長く一緒に居られますようにって!」
「・・・そうか。」
いつもの笑顔で応えるりんに目を細めるように妖も眼差しを向けた。
するとなんだかどきどきと胸が鳴るのを感じてりんはまた俯いてしまった。
「どうした?やはり不安か?」
「え、えと・・その・なんだか・・・」
落着かない様子のりんにそっと手が伸ばされた。
長くてしなやかなその指を頬に感じてりんは顔をゆっくりと上向けた。
殺生丸の視線とりんの視線が結ばれて、暫し沈黙があった。
「・・・私も生れて初めて祈った。」
「?」
「おまえの瞳が私だけを映し続けることを」
「殺生丸さま・・」
「そのためにどんなことをしても許して欲しいと、おまえに」
「りんに?」
「そうだ。おまえに祈り、願った。」
「・・・」
もしかしたら不安と迷いがこの強くて美しい妖怪を苛んでいたのだろうか。
りんはあの禊の説明を受けても不安はそれほどとも思わなかった。
しかし、優しいこの妖怪は私を想うあまり心さ迷ってきたのかもしれない。
真っ直ぐに向けられた金の瞳は痛いほど強くりんを求めて見える。
りんは差し出された手に手を重ね、心の底から愛しさを込めて微笑んだ。
「殺生丸さま、りんはあなたの妻です。何も迷わないで。」
りんの真摯な想いが届いたのか、妖怪の気が温かみを感じるほどに辺りを包む。
「りん・・・」
その歓喜に満ちた気がりんの身体中に染み込んでいく。
何時の間にか目を閉じ、重なった唇からもお互いの想いの温もりが伝わる。
不思議なほど落着いて身を任せ、りんは殺生丸と契を交わした。
落とした涙もまた温かく、あの水のように煌いていた。



こころもからだもおもいもとかし
ふたりはこれからなにもかもひとつ
けがれもつみもまよいもすべて
みずのながれにとけさらなければ
わたしのなかにください
すべてのみこんであげるから






あすかさんへの捧げ物です。
素適絵をありがとうございました。