雲 



穏かな晴れた日だった。
朝方の冷え込みは去り雲間からは陽の光。
その冬の日はめずらしく保護者がいて
りんごの頬をした幼子はとても嬉しい。
いつもお留守番だけど今日は一緒。
そう思うだけで心弾み何もかもが楽しい。
保護者は無口でただ傍にいるだけだ。
それには一向に構わず幼子は話かける。
「殺生丸さまあ、見てみてあの雲!」
「魚みたいだよ、あっあれなんか牛みたい!」
先程から空を見上げてははしゃぐように話す。
「あのもこもこは殺生丸さまみたい」
「そうするとあの横の小さなのは邪見さまとりんだ」
答えなどないが保護者は穏かで咎めたりはしない。
相槌を打つでもなくただ幼子の傍にいる。
「あああ、形が変わっちゃったー!」
ころころと笑いころげ、心底楽しげだった。
よく見ると保護者はその名にふさわしくない眼差し。
震え上がるほどの気も何処かへ消えうせてただただ優しい。
美しくうっすらと微笑んでいるかに見えた。
その優雅さに幼子は思わず見惚れてしまう。
ぽかんと空を見上げるように背の高い保護者を見る。
はしゃいでいた子供が黙ってしまったので怪訝しむ。
「・・・どうした」声も穏かで咎めてはいない。
「えっ?あ、あの、なんか雲をじっと見てたらね」
「お空に吸い込まれそうになって、あの雲に乗って飛んでいきたいなって」
「きっと気持ちいいだろうなあって思って」
「それで殺生丸さまは飛べるから捕まえにきてくれるかなとか」
「そう思って振り向いたら殺生丸さまが笑ってて・・・」
幼子は何故かそこで口をつぐんだ。
「・・・」保護者は先を促しているのか黙っている。
「・・・あんまり綺麗だったから・・・その」
「えへへ、なんかびっくりして見てただけ!」
その答えに満足したのかしないのか保護者の表情からは読み取れない。
再び黙ってしまったので幼子は少々気まずげだった。
”いけなかったのかな・・・”しょんぼりとしてしまった。
保護者といってもそこに立っているのは妖だった。
それも美しくとも恐ろしい妖だった。
しかし幼子の前ではそうでなかった。
その幼子にだけはいつもの殺気はなりを潜め
ただ空気のように傍に佇んでいる。
ほとんど表情を持たないその妖が微笑む姿を
きっと誰も知らないだろう。
なぜなら妖は微笑んだことがなかったのだ。
柔らかく包み込むようなその穏かな微笑みを
見つけた幼子が驚いても無理はない。
そしてそのことを一番驚いていたのは妖自身だった。
途惑いはしたが妖はゆっくりとその驚きを鎮めた。
「・・・雲には乗ることはできぬ」
いきなりな言葉にりんははっと顔を上げた。
「あれは固まりではない。」そう言うと
おもむろに幼子を抱え上げ空へ舞い上がった。
突然の行為で目を見開いたまま保護者に縋りつく。
どんどんと高さが増して目も眩みそうである。
うっすらと雲が目に飛び込んできた。
高地で寒さが増すが保護者は彼の持つ毛皮で幼子を包んでいた。
とうとう幼子はその桜色の頬をさらに染め笑みを零した。
「すごい!雲、雲だよ、雲に乗ってるみたい!」
速度を落としゆっくりと空を漂ってやる。
うっとりと雲の狭間を泳ぐ二人に冬の日差しも柔らかい。
「殺生丸さま、ありがとう」蕩けそうな微笑みで幼子が笑う。
すると思わずまたうっすらと妖も微笑んだ。
嬉しくてまた見惚れたが幼子は黙っておいた。
”殺生丸さまの笑顔ってもしかして内緒なのかも”
”でもりんは知ってる。なんか嬉しい”
楽しそうな子供の様子に妖は安堵したように見える。
わけのわからぬ感情をこの幼子に対して覚えていく。
どれも馴染まない感情だった。
妖は深く考えず幼子を深く懐に埋めるように抱いた。
雲に乗りたいと言った。だから飛んでやった、それだけだと
自らに言い聞かせて目を閉じた。
その瞼の裏には幼子の桜色の頬と空を指差す白く細い腕と指。
妖といることを喜ぶ様や見上げる眼差し、そんな場面が浮かぶ。
喜ばせたかったことを認めながらもその感情の発露には目を瞑った。
”りんだけが知っている。それなら許そう”
幼子に微笑まずにいられなかったことを恥じるかのように
妖は幼子を腕の中に閉じ込め空を舞い続けた。
「雲のなかって、あったかい・・・」
幼子はそんなことを呟いた。
妖は聞いたか聞かなかったか知らぬげだ。
雲もまた知らぬげに飛んでいくばかりだった。






あすかさんへのお礼の捧げ物です。
素適絵をありがとうございました。