絆



りんは大好きな妖怪に迎えに来てもらい嬉しそうだった。
おまけにその腕に抱えられ空を飛んでいたからなおさらだった。
「邪見さま、待ちくたびれたかなあ?」
「またさらわれちゃって、怒るだろうな」
「殺生丸さま、ごめんなさい。お迎えに来てくれてすごく嬉しかった」
「ありがとう、殺生丸さま」
りんは幸せそうに話し掛け、いつものように聞いているのかいないのか
黙ったままの妖怪に花のような笑顔を注ぎ楽しそうにしている。
人と妖しとは共に生きられないと諭されてもりんは受け入れなかった。
「生きるもん、生きていけるもん」と反論した
離れた場所でそれを耳にした妖怪はどう思ったのだろうか。
結局りんの己を呼ぶ声に堪えきれず迎えに現れ、
あっという間に屠れたであろう人間たちを妖力で蹴散らすに留め
りんにいまさらに問うた、「好きにしろ」と。
答えはわかりきっていた。しかし聞かずにもいられなかった。
りんにはわかっていた。共にいられる時間は限られていることを
しかしそれがどうしたというのだろう、共に在りたいのだ。
ただそれだけだった。僅かな間ならなおさらだ。
りんと殺生丸はお互いになぜそうまでしたいのかはっきりと自覚がない。
ただ離れられないでいた。離れることを魂が拒んでいる、そんな風だった。
これからふたりがどうなるのかなど本人たちにはあまり重要ではなく
共に在りさえすれば満たされる、不思議な縁、強い絆を漠然と感じている。
こうして肌を寄せ合えばなおさら訪れる幸福感と充足感にめまいすらしそうだった。
りんはこの妖怪が自分だけ特別にしてくれることをまるで本能でわかっているようだ。
はじめのうちは置いていかれることを怖れたがいまは違う。
きっとこの大好きな妖怪は自分を置いてゆかぬであろう、迎えにも来てくれるだろう。
両親に護られていた幼少のころの安心とは似ているようで、どこか違う。
ここは巣立つ準備をする親の元ではなくたどり着くべきところだと
おぼろげに感じていた。”ここはりんの還るところ。殺生丸さまにとってもそうだといいな”
”それならいつまでだって待ってる・・・”りんは小さい胸にともる灯火のような想いを抱いて
黙って広く居心地のよい胸に顔を埋めた。
大人しくなったりんに一瞬眼を落としたが元どうり前方へ視線を戻すと
殺生丸もまた暖かな胸のうちを抱きしめながらりんを少し引き寄せた。
しばらくひたと寄り添い飛んでいたがふいにりんが顔を上げた。
「殺生丸さま」
「・・・なんだ」
りんはいいことを思い出したというように身を乗り出し顔を近づけようとした。
殺生丸の顔がこちらを向いたときとっさに両手を差し出した。
殺生丸の顔を柔らかな小さい手が包む。
りんはそうっと頬の赤い模様の上にふっくらとした唇をのせた。
一丁前に唇を少し尖らせ、かわいらしい口付けをして、にっこりと微笑んだ。
無表情な殺生丸の顔にぽかんとした表情が浮かんだ。
しかしほんの僅かの間のことですぐにもとにもどると少し怒気を含んだ声で
「どこで覚えた」と訊いた。
「え?えーと、おっかあが昔りんにしてくれたのを思い出したの」
「殺生丸さま、いやだった?ごめんなさい・・・」
嬉しかった自分になぞらえて殺生丸を喜ばせようとしたりんはしゅんとした。
いったい何を怒っているのか自身にあきれつつ妖怪はうつむいてしまったりんに向かって
「・・・顔をあげろ」と命じた。
素直に翳ってしまった顔を上げると待っていたかのように唇が迎えた。
さっきと違い唇どうしが触れ合ったのでりんはびっくりして目を丸くした。
暖かい感触が離れると不思議そうにきょとんとするりんに
「私以外のものとは許さぬ、よいな」
ちょっと考えるような顔をして大きな声で「はい」とりんは返事した。
「よかった、殺生丸さま怒ったんじゃなくて」
「お口どうしでもするの知らなかった」
「どうして他の人はだめなの?」
りんは素直に聞いてくるが殺生丸は前を向いてしまい答えない。
りんはあきらめて、黙ったが思い出したように尋ねた。
「りん、上手にできた?」「殺生丸さま、上手なんだね」
にこにこと感想を零すりんに内心あきれつつも
”まあよい、まだはやい”と自分に言い聞かせるとりんも気づかぬほどの小さな溜息を漏らした。
いつのまにか夜が明けて静かな暁の空を待ちわびているであろう従者の下へ
銀の妖怪とその腕に大事そうに抱えられた少女は幸せそうに飛んでいた。