●犬のおまわりさん6●



眠れない夜、やっとりんが夢の中へ滑り込んでいったその頃。
おまわりさんは気配を感じて浅い眠りから覚めそっとドアを開け部屋の外へ出ました。
その気配は玄関の方から着ているようです。りんの傍を離れるのは危険でした。
しかし気配は近づく様子はなく、どうするか迷っている僅かの間にもう一つの気配が
いきなり眼の前に現れたかと思うと廊下の窓がバリンと派手な音を立てて割れました。
そしてごうと凄まじい風が吹きおまわりさんの眼前で渦を巻きました。
そこには昼間取り逃がした女が立っていたのです。
「りん!」おまわりさんは部屋のドアを後ろ手ですばやく開けると同時に叫びました。
叫びながら振り向いたおまわりさんは愕然としてしまいました。
なんの気配も感じなかったというのにりんの傍に両手一杯の大きさの鏡を抱えた少女が立っていたのです。
「あんたに恨みはねぇが娘はもらってくぜ」風使いの女が言いました。
殺生丸は後ろ向きに指先を一閃させ、新たに現れた少女を飛び越えてりんのところへ飛びました。
指先から放たれた鞭のような一閃は先の女の首から脇へ鋭く振り下ろされ
女はくっと苦悶のうめき声とともにその場にへたり込みました。
そしてりんの傍につくとぐったりと目を覚まさないりんを抱き上げてもう一度呼びました。
「りん!」しかしりんは目覚めません。きっと鏡を抱く少女を睨むと
「何をした」と凄みのある声で問いましたが少女は無言です。
答えは期待していなかったのか次の瞬間彼の二度目の攻撃が放たれていました。
そこに存在しているのかさえ曖昧に思える少女はその攻撃をかわそうとせず鏡を差し出しました。
「!」驚いたことにその鏡は彼の放った攻撃を吸い込んでしまったのです。
そして一呼吸後鏡から殺生丸に向かって先程の攻撃が反射するかのように帰ってきたのです。
おまわりさんはりんを抱いたまま跳び、それはかわしました。
次の反撃をしようにもりんが巻き込まれることが危ぶまれ、おまわりさんは逡巡しました。
「・・・目を覚まし、その男を殺して」鏡を抱いた少女がつぶやきました。
すると腕の中でいきなり目を開けたりんの両手がおまわりさんの首を締め付けようとしたのです。
驚きりんを見ると力はさほど強くなくふるふると震えていました。
苦しげな表情に歪む顔に焦点の定まらない目はじわりと滲む涙が浮かんできました。
おまわりさんはりんのみぞおちにこぶしを当てるとためらいなくとんと一撃を加えました。
りんは声もなく再びくたっと彼の腕に落ちました。
りんをゆっくりと横たえるとしばし呆然としていた鏡の少女に向かって、新たな攻撃をかけました。
先程より強力なうねりと光の束が二人の侵入者に向かって放たれました。
あわてる様子もなく少女は動けない女の傍へつとにじり寄りました。
とそこに大きな球状の結界が生じ、二人を包んでしまいました。
おまわりさんの攻撃の衝撃で揺らぎはしたものの、
二人はその球に包まれたまま敗れた窓と壁の向こうへと飛び去ってしまったのです。
当然追撃しようとしましたが最前から玄関方面で漂っていた気配とともに忽然と掻き消えてしまいまいした。
またしても取り逃がしたことに内心憤慨しつつも自分をなだめると
おまわりさんはりんのところへ様子を見に戻るのでした。
気付けをして起こすこともできましたがおまわりさんはりんを起こさず寝かせておきました。

しばらくしてりんはゆっくりと目を覚まし自分を見つめる金色の瞳に気づくと飛び起きました。
それを優しく押し戻すように肩へ手を置くと「まだ休んでいろ」とおまわりさんは言いました。
りんの目からまた光る雫が溢れ出し、首を左右に大きく振るとおまわりさんに向かって搾り出すような声で
「・・・ごめんなさい。ごめんなさい、殺生丸さま。私・・・」
「詫びることなどない、身体はなんともないか?」
りんはまた首を横に振って「どこもなんともないです・・・」
そう言ったとたんわっとりんは顔を覆って泣き崩れてしまったのです。
「・・わ、わたし、殺生丸さまをこ、殺そうと!」途切れ途切れに吐き出される言葉。
りんは身体を震わせ興奮でひくひくとしゃくりあげました。
いやいやをするように首を振り続けるりん。
おまわりさんは泣き止みそうもないりんに戸惑い、どうすればいいか悩みました。
考えても埒もあかず、りんの両肩を掴むと少し力をこめて握りました。
たじろぐりんを引き寄せてわななく口を自分のそれで覆いました。
りんは突然身体の動きと口を封じられ、大きく見開かれた瞳からぽろりと一筋落ちていきました。
りんは涙が喉元へ消えてしまってもまだ呆然としていました。
「わたしはなんともない」「泣くな」おまわりさんは言いました。
りんがまだぼうっとしているのを見ていらいらしたように「わかったか」と念を押します。
もう少し優しい言葉がかけられないものか、彼が長く独り身だった理由がしれそうでした。
りんははっと我に帰ったようにこくんと頷くと「殺生丸さま」と呼びました。
安心したように「なんだ」と応えるおまわりさん。
するとりんはゆっくりと「わたし、殺生丸さまが好きです。」と打ち明けました。
今度はおまわりさんがはっと一瞬固まりました。
「殺生丸さまはお仕事だから助けてくれるの?」りんは至極真面目に尋ねました。
「そうだ」と答えが返ったときりんの顔は曇りました。
「だがこの件が片付いてもおまえを手放すつもりはない」
うつむきかけていたりんが顔を上げました。
「・・・りんのこと好きですか?」
「わからん」
もし聞く者があればがくっと脱力しそうな返事のあと
おまわりさんはりんをふんわりと抱きしめました。
「だが誰にもわたさん」とりんの耳元で小さく告白しました。
りんは幸福に包まれ彼にしがみつきながら、「はなさないで」と懇願しました。
幼い少女に対して抱くには後ろめたい感情が沸き起こりましたが
そこは抑えて黙ったまま抱きしめる腕に力を込めました。
おまわりさんはりんへの想いを確かめるように髪に顔を摺り寄せ
りんの甘い匂いをあじわうのでした。
二人はお互いの気持ちを確かめ合えて幸せそうでした。

が、突然、「おまえは幾つになる?」とおまわりさんが訊きました。
「え?15です。」答えるりんを前に再び固まるおまわりさん。
「どうしたの?」りんは心配そうに尋ねました。
「いや、なんでもない・・・」と彼は口を閉ざしてしまいました。
彼の経験上無かった範疇なのか、軽い眩暈を感じているようでした。
・・・いまさらですね。
わりと真面目なおまわりさん、”手が出しにくい・・・”と思ったのでしょうか?
りんは自分の身の危険が別の意味でも生じていることに一向に気づいていないのでした。




続く