My Dears <1>


春の宵に浮かぶ月が朱に染まる二人を照らしていた。
辺りは静かで、沈黙でようやくそのことを肌で知る。
しっかりと握り合った手と手。コツコツと靴音が二つ。
口数の多い女の側が黙ると、こういう結果に陥るのだ。

心中は互いに穏やかでないのだが、だからこそ言葉が出ない。
しかし気まずさではなく面映い。火照る頬がそれを示していた。

”な、なんか言って・・ううん、言うべき?!困ったな・・!”
”まじィ・・余計なこと言って意識させちまったよなァ・・!”

二人の臨界点は近い。途惑いに動悸、握る手の感触が生々しい。
幾度も握ってきた手指であるのに、向かう意識は隔たりが大きかった。
宵闇を歩く二人からはまだかなり距離のあるとあるマンションでは
彼らの報告を待ち構えている保護者たちが四方山話に花を咲かせていた。

「そんで番外ちゃんは同僚と飲みに行ったじゃん?例の奴だね。」
「自棄酒なんですって。今日のことは知っていたらしいわ。」
「そっかぁ・・けどその同僚君、前からわりと気になってた奴なんじゃん!?」
「らしいわね。今日は慰めてもらうだけが目的と言ってたけど。」
「よかったじゃん。素直になれる相手がうちら以外にも現われてさぁ。」
「寧ろ私たち家族以外の何も知らない人の方が素直になれるのではないかしら?」
「あぁ・・そうかもじゃん。・・にしても遅い!まさかと思うけどさぁ・・」
「可能性としては大ね。帰りたくなくなって・・でも場所がねぇ・・」
「そこらのホテルとかじゃあダメじゃん!アイツちゃんとわかってっかね?」
「・・ま、帰るでしょう。彼、・・あの子に対しては特別にヘタレだから。」
「・・じゃん。帰ったらどうしてやろうじゃん!?く〜・・腕が鳴る。」
「殴るのはやめておきなさい。何度も殴られて脳やシステムに影響出たら困るわ。」
「だけどさぁ・・・アイツもとうとう観念したかと思うと・・泣けてくるじゃん。」
「そうねぇ・・見ていて涙ぐましかったものね。二人共に。」
「そうじゃんそうじゃん!だからさ・・祝ってあげようじゃん、めいっぱい!」
「もちろんよ。”冥土帰し”の彼にもね、ちゃんと連絡入れておいたわ。」
「あっちこっち心配掛けて困った奴らじゃん。」
「っていうか、愛穂。あなたもう酔ってない?」
「飲まずにいられないじゃん。はぁあ〜・・はよ帰って来いー!じゃああん!」
「絡みそうね、これは・・ちょっと可哀想な気もしてきたわ・・」


「あっ・・あのっどっち向かってるの?ミサカは都内路線の電車で来たんだけど。」
「あァ、仕事場の駐車場だ。車でここ来るには不便だったンでそこに置いてきた。」
「そっか。家を出てからは車だったっけ。忘れてた。」
「・・・遅いって玄関先で殴られそうな予感がすンぜ・・」
「今日はミサカが止めてあげる!」
「そりゃァどうも。」
「ねぇ、まだミサカのこと見てくれないね?」
「ン・・そォか?」
「き・・気のせいか!ミサカの・・」

ようやく再開された会話はまた直ぐに途絶えた。長い間二人は目さえ合わせない。
一方通行の方は口を開いて打ち止めの目を見てしまったら、連れ去りたくなるから。
打ち止めの事情というのは、”帰りたくない”という本音を隠すのに懸命なためだ。
我侭を言っては夜も遅くなる。きっと保護者たちは待ちくたびれているに違いない。
それなのに、心の奥では一方通行に”帰したくなくなる”と言われてからずっと
”そうしてほしい”気持ちがどんどん溢れてきて抑えるのが困難なほどなのだった。
俯いて彼から目を反らしていたのは、それからは打ち止めの方からということだ。
やがて車に乗りエンジン音が起こる。一方通行は迷わずに保護者達のところへ向かうだろう。
そうとわかっているから、これは我侭だと打ち止めはきゅっと唇を噛んで言葉を飲み込む。
 
「・・前に噛むなって言っただろ。」
「!?・・ごめ・・なさ・」

車のエンジン音が止まっていることに気付いたのは噛んでいた唇を解かれたときだった。
黙って俯いていることに一方通行が気付いていないはずはない。溜息を一つ零して彼は
助手席に座った打ち止めがシートベルトをしようとした際に俯いた顎を持ち上げた。
運転席から身を乗り出し、隣の打ち止めに覆いかぶさるようにして、噛んでいた口元へ
自らの唇で咥えるようにして解し、ぽかんとした顔を認めてからゆっくりと口付ける。
暗い駐車場内には他に誰もいないようだった。止めてある車もほとんど見当たらない。
しん・・とその場も、そして彼らが乗り込んだ車内も何もかもが静まり返っていた。

やがて小さな吐息で静寂は破られ、重なっていた唇同士が離れる。

「今晩はここまでだ。帰るぞ、いいな?」
「わかっちゃった・・?帰りたく・・なかったの。」
「悪ィ・・俺があンなこと言っちまったからだろ?」
「なんだかもう随分前から恋人同士みたいってミサカは現在の不思議な感覚に包まれてる。」
「・・・よく言うぜ。顔は真っ赤っかで体はガチガチデスよ、お嬢さン?」
「こんなに暗いのに顔色なんてわからないとミサカは思うんだけどなっ!」
「こンだけ近付いてりゃわかる。・・ホラ、固まってねェでベルトしろ。」
「うん・・アナタがとても大人っぽいことに驚きつつ素直に頷いてみたり。」
「危ねェお嬢さンだ。俺もうっかり路を間違えそォになるとこだろォが・・」
「ちょっぴりがっかりしたりして・・ごめんなさい。」

打ち止めは持っていた二つの花に謝るように頭を大げさに下げた。「アホ・・」と呟かれたが
顔が上がったときその額に軽いチョップが入る。それは彼だけの愛情表現だと知っている
打ち止めは微笑んだ。そして何事も無かったように運転を開始した一方通行の横顔を見る。

”キス・・3回もしちゃった・・眠れないかも・・ううん、きっと眠れないよ”

うっとりと見詰められて内心落ち着かなかったが、一方通行は顔には出さなかった。
打ち止めの気持ちが嬉しくない訳はない。可愛すぎて車どころかあちこち破壊したいほどに。
しかしなんとか衝動を堪えながら車を走らせる。時間帯のせいもあり、直ぐに着くだろう。
距離の短さに感謝した。目を合わせなくて済むせいか運転中ずっと熱い視線を感じていた。
長いこと正気を保つのに困難な視線だ。見慣れた保護者達のマンションが見えてほっとする。
そうしてようやく、たどり着いた頃、黄泉川愛穂は酔いで潰れかけの状態だった。
おかげで一発食らわされることは免れたが、もたれかかられて支え、居間へと運ばされた。
居間にはツマミの食べ散らかした跡や、酒瓶が転がっていて、呆れそうな惨状を呈している。

「もしかしてどこかへ寄り道していた?」と芳川が穿った目線で問い掛けた。
その質問の意味がストレートに理解できた一方通行が烈しく否定する。打ち止めはその剣幕に
怪訝な表情を浮かべたので、その態度が彼の言い分を証明したことになった。

「あら、ナニもしてなかったの。それは感心。でも報告は約束通り詳しく頼むわね?」
「余計なこと勘繰るなって・・打ち止めァ、眉間に皺!何疑ってンだ、オマエは!」
「二人の会話が腑に落ちないんだもの。ジュエリーショップには寄ったよ?」
「はいはいはい、愛穂さんを無視すんなじゃん!ごらぁ!打ち止めよく帰ったじゃん。」
「うわっヨミカワ、すごいお酒の匂いだよ!大丈夫?お水持ってこようか!?」
「お水ここにあるからいいわ。まぁ座りなさい。食事は済ませた?」

結局・・その晩は夕食を摂ることも忘れて話し込んでいたことなどを芳川に報告しながらの
飲み潰れた黄泉川を寝かせたため、芳川と一方通行、打ち止めの3人での軽い食事となった。

「泊まっていきなさいね、愛穂が怒るから。あらたまった話は明日にしましょう。」

簡単な食事の後、芳川は丁寧に淹れたコーヒーを二人に提供した。
久しぶりに飲む味は悪くなく、一方通行は黙ってそれを啜っている。

「アナタの美味しそうな顔見るのって久しぶり。」
「あら、あれって美味しそうな顔なの?私には解りづらいわね。」
「美味しいでしょ?一方通行。」
「・・・まァな。」
「一緒に暮らしてたのに、ヨシカワが解らないなんて意外!」
「彼の表情からそういった分析が可能なのはあなたくらいよ、打ち止め。」
「そうなの?すごくわかりやすいとミサカは思うんだけど・・?」
「・・俺の顔ばっか見てるからだろ?飽きねェヤツ。」
「アナタに言われたくないってミサカは睨んでみたり。」
「ふふ・・それはそうだわ。というか早速惚気を聞かされるのね。」
『惚気てなンか!!』「・・いねェし・」「ないよっ・・てミサカは」

返答は二人同時だった。芳川桔梗はふっと肩を竦め苦笑を浮かべる。

「良かったわね。心から祝福するわ。これからも応援させてもらうしね。」

その言葉は静かだったが、深い想いに満ちていた。思わず居住まいを正す打ち止め。
一方通行は何か言おうとしている彼女を見上げ、少し待てと目で合図した。

「俺から言わせてくれ。感謝する。・・そしてこれからも宜しく頼む。」

一方通行の合図に頷くとさっとその横に寄り添った打ち止めが、次に口を開いた。

「ありがとう。ミサカたちをいつも・・いつもっ・・」

言わんとしていた言葉が途切れ、打ち止めの目には一杯に涙が溜まっている。
芳川は二人に向かって、優しく微笑んだ。その瞳の端にやはり同じ光を弾かせて。

「いいえ、お礼を言うのはこちらなの。二人に私も救われてきたのよ・・」

芳川は確かに一粒の光を落とした。しかしすぐに顔を上げ、そう告げたのだった。






「My Dear」→ 「My Dears」になってます。続きます。
保護者たちのことでもあり、通行止め二人でもあります。