Hush a bye  


「おやすみなさい」そう微かに耳から体に響いた。
しかしもう既にまどろみのなかで意識は途絶える寸前。
慈母のような微笑みを浮かべる女はよく知った子供だ。

どうも幼い頃からのクセらしいのだが、自覚はない。
寝ぼけて手元にあるものを引き寄せる、というもの。
柔らかいものであれば百中らしく、いつも遭遇する子供は訴えた。 

「毛布をいきなり奪われたのが最初だったんだよってミサカは思い出してみる。」

子供は一緒に暮らし出してから俺が眠ると毛布を持ってやってくるようになった。
ところがその役割を担ったせいか、毎回毛布ごと絡め娶られるという事態になり、
子供は陳情してきた。「どうしてミサカまで抱きかかえるの!?枕代わり!?」
始めはそんな風に。そしてその次に顔を赤らめ困ると呟きに変えていった。
で、近頃では・・(嫌なら止めればいいとの俺の意見はその都度スルーされている)
母親を気取るように達観した態度で二人して毛布に包まることが増えた。 

番外固体にその現場を見られたときは結構うっとうしい騒ぎになった。
あいつが呼ぶ上位固体こと打ち止めは、番外に対してしたり顔で説明した。

「番外も寂しかったらいつでもミサカが抱っこして眠ってあげる。」

黄泉川や芳川は吹き出し、俺も引き攣ったが一番面食らったのは番外だった。
誰も羨んではいないと憤慨したのだ。しかし打ち止めは真面目な口調で、 

「申し訳ないけど抱き心地は良くないかもだよ?おっぱい・・欲しいけどないし。」

それで俺の母親を気取っていることがあからさまになった。番外は呆れたが

「へぇ〜え、じゃあさミサカが第一位を抱いて眠ってあげるってのは?」

驚かされた意趣返しなのか、意地悪いお得意の表情で打ち止めにそう迫った。

「えっ!?そっそれはダメ。だってだって・・なんだか・・」
「黄泉川や芳川なら?母親代わりなら上位固体よりずっと相応しいと思うけど。」
「うっ・・それはそうだけど・・あくせられーただってそんなのは・・困ったり」
「寝ぼけて覚えてないらしいから、途中交代ってのもいけるんじゃないのお!?」

打ち止めはぐっと唇を噛み締めた。番外に言い負かされそうな逆風に耐えている。
余裕を取戻した番外はにやにやしながら近付くと、打ち止めの髪を一掬いして弄んだ。

「あなたは誰がいい?抱っこしたいって思うのはミサカが一番だと主張してみる。」
「なっ・・」

からかいは持続しなかった。打ち止めが番外なり俺を抱いて眠りたいのだから、
打ち止めでは役不足と言われれば辛い。だが、もし選んでくれるなら応えたいという。
番外の表情からは険が取れ、打ち止めの真剣な視線に途惑い勝ちにだが向き合っていた。
結局、今晩はお試しだとかで番外を抱いて眠ると打ち止めは保護者達に宣言したのだった。

番外は面白くないような、それでいてどこかほっとしたような複雑な顔をしていた。
俺にはその心情がよくわかる。だが敢えて何も言わず離れようとすると、引き留められた。

「あんたはどうなの、第一位!ほんとに無意識に抱いて寝てるって言い張るわけ?!」
「・・・お試しくらいでびびってンじゃねェよ。案外キモチいいかもだぜ?」
「ふ〜ん、じゃやっぱりキモチよくしてもらってるんだね、この最強の変態第一位さんは。」
「だから、おまえもそうしてもらえよ。別にやましく感じることもねェだろ、そっちは。」
「あ、やましいんだ。いいの!?そんなにぶっちゃけちゃってさ!ひゃははっ」
「・・アイツもいつまでもガキじゃねェンだから、お役目交代ならありがてェと思ってる。」
「・・・ちょっとは困ればいいのにツマンナイ。開き直っちゃってまぁ・・!」

俺への八つ当たりもうまくいかず、番外は子供っぽい拗ねた表情で睨んでいた。
言うと怒るだろうが、そういう顔は打ち止めとよく似ていてうっかり笑いそうになる。

「”おやすみ”ってな・・言ってもらえよ。それが意外に・・クセになっから。」
「・・・なにそれ、惚気?ばっかみたい。」

翌日、一枚の毛布に包まって眠ったらしい姉妹は案の定晴れ晴れと幸せそうに起きてきた。
元気がいいのはいつもだが、打ち止めは番外とだと自分が得をしたと嬉しそうに報告する。

「考えてみればミサカもお母さんに抱かれて眠ったことなかったんだって思い出したんだよ。」
「冗談じゃないよ、一番下の妹を母親代わりにするの?ミサカあんまり眠れなかったんだけど。」
「え?よく眠ってたよ・・もしかしてミサカあなたのこと蹴ったりとかした!?」
「・・・・思ってたより寝相良かったからそれはないけど・・・」
「素直で可愛い顔してたんだよ?あなただって。」

そう言って笑う打ち止めを番外は眩しそうに目を細めたかと思うと、ふっと視線を外した。
横顔に刷かれた朱は鮮やかで、本人にはとても言えないほど、子供らしく邪気がなかった。
俺もあんな風に・・バカみたいに嬉しそうにしてたり・・してたのだろうかとふと不安になる。

「羨ましそうな顔してないで!たまには幸せを分けてあげるじゃーん。」
「そうそう、それに今晩はあなたのところへ来てくれるんじゃない?」
「・・・誰が羨ましそうな顔してンだ!?バカ言ってンじゃねェよ!」

ばしばしと黄泉川に大笑い付きで背中を叩かれ、息が止まりそうになった。馬鹿力め!
睨みつけていると、芳川が打ち止めに更に馬鹿らしいことを話しかけていたので慌てる。

「え!?あくせられーた・・大丈夫だよ、今晩はアナタのとこへ行くからね!?」
「来なくていいっ!誰も拗ねたりしてねェンだって、ソコ!大口開けて笑うなっ!!」

番外のやろォがテーブルをびしばしとひっぱたきながら引き攣るように笑っていた。
ああもう・・どうして俺の周りの奴らは俺をダシにして遊ぼうとしやがるンだ!?
打ち止めはおろおろしていた。番外に、今夜も一緒に寝る!?と心配そうに尋ねている。
「いや今夜は可愛そうなあちらさんのとこに行ってあげなよ・・ぶっ・・はははははっ!」


数時間後、番外が出かける間際に俺に囁いていったことがある。

「お兄様、『おやすみなさい』は確かに威力あったって白状しといてあげる。」

ふふんと鼻を鳴らして、まるで譲ってもらった礼だとでも言うように。
照れくさいのか勢い良く扉の向こうへと消える。浮かんでいた笑顔に悪意は見当たらなかった。

「・・・だろォよ。これからもっと・・思い知るがいいぜ。」

あいつらに見られたらまたくだらない嫉妬と勘違いされそうな台詞を呟いた。
これはアイツと俺にしかわからないことだろうと思う。だから見られなくて良かった。
打ち止めを殺す。この俺の眼の前で、そういう使命で造られた命が番外だ。
そんな対象から注がれる愛に満ちた情をすんなりと受け入れられる者は少ないだろう。

「ちょっとばかし・・キツイぞ。けど・・俺よりは・・」

彼女はしかし、誰も殺してはいない。俺との差は遥かなほど広い。
優しくて蕩けそうな想いで浄化できるのならとっくに救われている。

「おやすみなさい」

醜さも罪も汚さも全て、目を閉じて眠りなさいと微笑む無償の微笑。
思い知らされる。この手がすでに目隠しくらいで隠れないほど血で染まっていること。
いいんだ、俺は。だからアイツは・・子供のように甘えればいい。資格なら十分だ。
掌を見詰め、また閉じた。罪は消えなくていい。傷もどんどん赤く開いていっていい。
甘い甘い罰を受けているのだ。一生受け続けていたい。打ち止めのあの微笑に包まれて。
愛しさだけは変わりなく、いや増していくのを自覚している。








番外に幸せになってほしいと彼は誰よりも望むだろうと思います。
妹達にもです。そして打ち止めが幸せであることが彼の唯一の安らぎかと。
けれどそのためには苦しまなければならないのでしょうね、きっとずっと。