DIVE  


”ああどうしようっ!?ってミサカはミサカは・・・”

今日も眠れない。打ち止めはベッドの中で声を殺してもがいた。
落ち着いてきたらきたで、冷たい雫が頬を濡らしていることに気付く。
こんなとき、あの頃ならば迷いも無くあの人のところへ向かっていた。

一方通行(アクセラレータ)は今一緒に暮らしてはいない。 

いや、例えあの頃のように同じ屋根の下に暮らしていたとしても
打ち止めはもうその人の寝床へ押しかけることはできないだろう。
無邪気だった時代が懐かしく切ない。何も怖くなかった。あの人がいれば。
己を摩り減らして護ってくれた小さな命。きっと殺された妹達の分も含めて。
あの人を護ろうと決めたときから、打ち止めの人生は始まったのかもしれない。
大人になるということを知らなかったから。未来は漠然としか感じられず。

元々死するため、殺されるために作り出された命達。打ち止めはその一つ。 
司令塔という特定の役割を担わされ、あの人と廻りあい、知ったのだ。
『死なない』ということと『生きていく』ことは別物なのだということを。
あの人もまた運命に抗い続け、傷ついてぼろぼろになっても尚、諦めなかった。
お互いがお互いを支えていたと思う。今もそれは変わってはいないのだけれど。

”あの人が大切にしてきたものを・・・壊すのはやっぱりいけないこと・・かな”

何度も崩れそうになった心を自分は包み込みたかった。それだけが望みだったのに。 
愛しそうに見詰めるあの人の瞳に映る私は・・・今も昔も同じなのだろうか。
何時芽生えたかわからない。きっとずっと昔だ。もしかしたら初めて遭ったとき。
同じように想ってくれていると幼い私は信じてきた。疑いの欠片も感じないまま。
ただそうやって想いで繋がり、支えあうことだけでよかったはずの私はもういない。

始まりは嫉妬。子供らしい独占欲だった。負の感情は知らず自分の内に隠れていた。
どんどん表面化して膨れ上がる。そのみっともなさに気付いて愕然としたものだ。
木々が伸びていくように小さな自分の手足がもっと伸びればいいと願ったのは
あの人に少しでも近付きたかったからだ。なのにそれが離れていくことになるなんて。

”困った顔してた。・・・そうだよね・・困るよね、そんな風に見れないのなら”

また思い出しては頭も目も冴えてしまう。眠れなくなる。けれど止められない。
いつまでも無邪気な子供でいて欲しいとあの人の中の気持ちが見えてしまっていても。
あんなに近かったのに。腕を組んだり、何度も繋いでもらった掌も遠くなった。
一緒にソファに寝転んで安らかに眠っていた。夜中に何度も潜り込んだあの人のベッド。
冷たくされたことなど一度としてない。何時だって何もかもが私に優しかった。
抱きしめてもらったこともある。忘れるはずはない。宝物のような記憶は確かに保存されている。
これ以上望むのは、もしかしなくとも無謀だろうか。欲とは果てのないものだ。

いつだったか、あの人が迷子になったりフラフラといなくなる私に言ったことがある。

『・・鍵付きの部屋にでもぶち込んで閉じ込めてやろうかァ!』

今の私は同じようなことを考える。あの人を捉まえて永遠に離さない方法はないかと思うから。
もし今でもそう思ってくれるなら、自ら飛び込んで檻の中で生きられるのに、とも思うのに。
どうしてだろう。今なら私はあのひとに保護者仕込の食事も拵えてあげられる。
苦しいこと、辛いこと、なんでも背負い込むあの人の涙も何もかもを受け止められるのに。

”私を・・私を一人にしないでって・・・どうしても言ってしまう。抑えられない”

大人になったあの人。大人に近付いている私。どうすればもう一度あの頃のようになれるのか。
打ち止めはまたもがいた。できなくなったのは自分だ。壊したのも、奪おうとしているのも。
ぎゅっと目を閉じると涙が滲んだ。優しい手を振りほどいた。『恥ずかしくなったから』
『触らないで』と言った。どきどきして胸が潰れそうだったから。なんて愚かなんだろう。
”家族”を心の底から大事にしていることを知っていながら、それを台無しにしようとした。

『アナタが好き。娘でも妹でもいたくない!』

踏みにじって粉々にしてしまった。一生懸命に築き上げ、手に入れた温かくて当たり前な生活を。
ごめんなさい。けれど赦してなんて言えない。黄泉川、芳川、悪い子でほんとにごめんなさい。
飛び降りてしまった崖。打ち止めはもう戻れないことを後悔していない。それが辛かった。


どんなに足掻いても朝は来る。それは素晴しいことなのだろう。
なのに愛する人がいなければ、そんな朝の光を浴びるのも虚しい。打ち止めは
結局その日もろくに睡眠を取れないまま、よろけるようにベッドから起き上がった。

「おはよう!打ち止め。あらら・・またこの子ったらクマなんて作っちゃってぇ・・」
「おはよう、黄泉川。大丈夫だよ、ちゃんと朝ごはんも食べるから。」
「それよりさ、今晩アイツ来るって。なんか改まってたけど・・・とうとうアレじゃん!?」
「え・・アレって?今日来るなんてミサカ聞いてない・・」
「そうなの!?芳川も呼ばれたって言ってたじゃん。・・・なんだ違うのか?いやいや・・」
「あの、さっきから黄泉川が言いたいことがわからないんだけどアレって何!?ってミサカは」
「あっうん!いいや。私から言うわけにいかないじゃん。気にしないでいいってことじゃん!」

打ち止めの頭は疑問符で埋まる。何かを隠すような保護者は結局誤魔化したまま出勤した。
連休中で寮から戻っているので、以前のように黄泉川家で留守番をしながら家事をこなしていると、
携帯にメールが入った。慌てたのは一方通行からだったからだ。急いだせいで携帯を落としかけた。
それは今晩の訪問の予定を知らせるだけの文面だった。尋ねようか迷ったが打ち止めはしなかった。
今夜会えるのだ。もしかすると、例えば自分の願ったことに対する返答ならばどんな結果であろうと
携帯ではなく直接聞きたいと思った。覚悟はしていたつもりだが足が震える。眩暈も襲ったが耐えた。

「しっかりしないと。・・大丈夫、きっと・・・耐えられる。」

打ち止めは声に出して自分に言い聞かせた。声は揺らいでいたが言えたことにだけ満足する。
数日前に告げたあの人への想い。何もかも暴露した。どんな結果になろうとあの人を責めたりしない。
大人になって素適になって、私だけを相手にしていられないのは当然だ。家族で・・いればいい。
心の中では何も変わったわけではない。変わりようもない。家族であってもそうではない。
出逢ってから今、そしてこれからもずっとあの人を想っていく。そのことに変わりはしないのだから。

長いのか短いのか判別し難い一日が暮れて、芳川と黄泉川が帰宅して来たのを出迎えた。

「なんだか緊張しちゃって・・ね、打ち止めは落ち着いているわね。」
「?・・芳川が緊張するって不思議な感じがするけどってミサカは正直に言ってみる。」
「だってねぇ・・感慨深いじゃない。愛穂、あなただって緊張しない?」
「緊張っていうか、ワクワクするじゃん。いつかこんな日がって期待してたからさぁ!」
「え!?期待って・・あの人何か・・偉業を成し遂げたとか・・?」

打ち止めの途惑う様子に芳川は驚いていた。黄泉川に何か耳打ちされてそうだったのと頷いた。

「まぁある意味で偉業をこれから成し遂げようってところかしら?結果は心配いらないでしょうけど。」
「そうじゃん!さぁさ、ごちそうの支度じゃん。手伝ってよ二人共!」
「・・・ほとんど炊飯器が主役なんでしょうけれどね。」

何故だか保護者達は楽しそうで、打ち止めは知らされていないことがあるのだろうと推し量った。
それならば打ち止めの懸念した例の返事に来るのではないのだとなんとなくほっとするのだった。

その日、訪問者は珍しい格好をしていた。一番目を丸くしたのはやはり打ち止めだったが、
保護者達などは笑いを堪えているのが丸わかりで、一方通行に思い切り睨まれていた。

「い、意外と似合うっていうか・・ちゃんとした大人の男じゃん!・・くく」
「そうね、七五三には見えないし。予想以上にきちんとしていると思うわ。」
「二人共どうして笑うの?!素適じゃない!ってミサカはアナタを弁護してみる。」
「うっせェ・・似合ってなくて結構。・・これしかねェってテメェらが言ったンだろォが。覚えてろよ!」
「あのあの・・それで今日は何かのお祝い?なのかなってミサカは予測を述べてみるけど。」
「祝いになるかどォかは・・オマエ次第だ。」
「へっ?・・ミサカ!?・・はミサカは・・ちょっと混乱してしまってるよ!」

着慣れない様子のスーツに身を包んだ一方通行が食事の前に取りあえず座った居間で何か取り出した。

「おィ、ちょっと手ェこっちによこせ。」

打ち止めはいきなりわけのわからぬままに左手を掴まれた。

「芳川ァ!これサイズ合ってンだろォな?」
「間違いないはずよ。いきなり嵌めるの?ちゃんと言わないとダメでしょうに。」

この日どうやら態と外していたらしい一方通行の視線がようやく打ち止めの前で止まった。
見たことも無いほど硬い表情に打ち止めも固まる。掴まれた手がうっすら汗ばんでもいた。
向かい合った一方通行の片方の手には、小さな銀のリングが指と指の間で光っている。
小粒だが赤くて濁りの無い耀きを放つ石がその環の真ん中にちょんと載っていた。

「えー・・あー・・その・・コレはオマエンだ。受け取るっつゥなら嵌めてやる。」
「これ、ミサカのなの?アナタがくれるの?・・・左手で・・いいの?」
「左の薬指・・じャねェンかよ?オイ、黄泉川ァ!?」
「そうだけどあんまりじゃんか。もっとちゃんとしてくれないと。うちらの大事な娘なんだから。」
「ぐ・・っくそ・・ごほっ・・いやだからその・・・よ、嫁に・・なるか?っつゥハナシ・・だ。」

一方通行の顔には汗で髪が張り付いていた。顔色は白を通り越して黒く翳りそうなほど緊張している。
打ち止めは知らないうちに滑り落ちたもので頬を濡らしていた。それを見て一方通行がぎょっとした。
慌てて「そっ・・・お・・無理ならそう言え、怒ったりしねェから!」と大声で叫ぶ。
今度は青くなっている顔色に打ち止めはふっと堪えきれず笑う。同時にまた両目から涙が後を追った。

「うん。なる。アナタのお嫁さんにしてってミサカは頭を下げてみる。」
「っ!?・・な、なら・・嵌める・・ぞ?・・いいンだな!?」

指輪は中々宣言通りに納まらなかったが、サイズ違いのためではなかったのでなんとか落ち着いた。
その指をうっとりと眺める打ち止め。対して一方通行は肩をがっくりと落として疲労感を表していた。

「・・数日も費やしたにしてはどうなのかしらね。あの求婚であなた納得した?」
「だよなぁ・・でもまぁ、娘があんなに喜んでるんだからしょうがないじゃん?」
「ふふ・・それもそうね。今晩は飲みましょうね、愛穂。ワイン持ってきたわ。」
「抜かりなく冷やしてあるじゃん。パアっと行こう!めでたい日なんだかんね!」

その後、保護者の前で改めて誓われた将来と、彼女達の祝福で打ち止めは胸一杯だった。
悩んで何日も枕を濡らしたことなど、最早可愛らしい思い出話に変わってしまっていた。
打ち止めが酔い潰れた保護者たちに毛布を掛けてやっていると、一方通行が帰ると言い出した。

「帰っちゃうの!?もう遅いし泊まっていけばいいのにってミサカはミサカは引き留めてみる。」
「また今度な。いくら潰れてるっつっても親の居るとこじゃなンもできねェし。」
「何するの?ってミサカは・・」

懐かしいチョップが打ち止めの額に落ちてきた。睨んでいる一方通行に不思議そうな打ち止め。
数秒考え込んだ後、打ち止めがポッと顔を赤らめた。にやりと一方通行が人の悪い笑みを浮かべる。

「オマエあンまり予習とかすンなよ!そォいゥことは全部俺が教えてやる。直接な。」
「う、うん。ってなんだか楽しそうなアナタにちょびっと身の危険を感じてみたり。」
「今更ナニ言ってンだ。・・逃げンなよ。」
「まさか。アナタに掴るのが夢だったんだからねってミサカは口を尖らせて抗議してみる。」

打ち止めの子供っぽい拗ねた唇に重なった唇は存外の熱さで、二重の意味で驚く打ち止め。
一方通行も少し酔っているらしい。酔った勢いでなにすっかわかンねェぞと笑われてしまう。

「ずっと一緒にいてね。これからずっと。」
「これまでだって一緒だ。変わらねェよ。」

真面目な表情に戻った一方通行が囁いた言葉は打ち止めが心に仕舞おうとしていたものと同じだ。
手を伸ばすと自然に握ってくれた。だからきっとそうしてくれると、打ち止めは目蓋を下ろす。
少し上向かされたが唇に望み通り触れられる。閉じた目蓋から落ちた光はこれまでと変わって温かかった。









ぽろぽおず・・・になってしまいました。いいのかな、これ?心配だ・・;