今もむかしも



りんが世を去って数回の季節を見送った。
幼い子供の姿は遥かな昔を思い起こさせる。

ぱたぱたと仔犬のように好奇心に満ち充ち、
この世を大いなる遊び場とし耀いている。

「父上」と呼ばれる声はりんとは異なる。
それでも殺生丸に向ける眼差しは同じものだ。

元気な子供にはありがちなことでよく傷を作る。
りんはあまり痛がったりしない子供であったが、
我が子は愛想のない父親に大げさに痛がってみせる。
今も子の世話を焼いている邪見などからすると

「どちらに似たのですかねぇ・・?」

と不思議でならないらしい。どうということもない。
りんは遠慮があっただけのことで、子は気を引きたいのだ。
そういうものだと今ならば殺生丸も容易に理解できた。

「父上〜!しくじりましたあ・・・!痛いですー・・」
「コレ、坊!そのように悲鳴を上げるとは情けない。」
「だって・・邪見に言ってないよ、父上に言ってるの」

「・・・邪見、痛みは生きたる証拠と云わぬのか?」
「へっ!?あ、あぁそういえばそんなことを・・昔」

「えっ!いつ誰に言ったの?!もしかして母上!?」

察しのいい子供は邪見にしがみつくように事情を知りたがり
弱った体の邪見は「ああ、そうじゃ!坊の母自身も言っておった。」
「教えて、教えて。母上もよく転んだり怪我したのですか?」
「それほどしょっちゅうでもないが・・大人しくはなかったでのう・・」

母を亡くしたときはまだ幼かった子供は聞きたがりである。
殺生丸は当初りんの話を嫌がるようであったが随分変わった。
寧ろこの頃は先ほどのように態とりんの話を持ち出そうとまで。
失った痛みからようやく立ち直られたのだなぁと邪見は目頭を熱くする。
それを誤魔化し邪見は記憶を辿り、昔のあれこれを話して聞かせる。
少し離れて聴いてもいないような面構えの殺生丸もきちんと耳を欹てていた。


愛しいと気付いてから、殺生丸はよくりんを呼び寄せると傷を舐めた。
身を捩り恥じ入る初々しい仕草。りんは女になったのだと実感も齎した。

「何時になればこのような傷を作らずに済むのだ。」
「ごめんなさい・・じっとしていられなくって・・」
「やはり空の殿に一人住まわせようか」
「りんは前も言ったけど地面の方がいい。傍にいさせて。」

しょんぼりと項垂れるりんを殺生丸は抱きすくめた。
出来得るのならこのまま包み込んでいたいとすら想い、
そんな想いを込めて見詰めるとりんは頬を赤く染めた。

りんをそんな風に愛するようになったのはいつからだろうか。
殺生丸には定かではない。気付くとそうであったというのが近い。
そこからは愛しさは増すばかりで、出会った頃の記憶が遠くなった。
それがこんな風に何年も過ぎた後、思い起こされることもあると知った。
世を去ったりんが残してくれた子供がどんどん思い出を連れてくる。

「いつまであのヒトの子を連れて周られるので・・?」

りんの命ごと拾った殺生丸に邪見はそう尋ねたものだった。
まさかその人間の小娘と一生連れ添うなどとは想いも寄らない。
殺生丸自身もその頃は未だそんなことは与り知らぬのであった。

そして今。

「ふ〜ん・・じゃあ私は母上にそんなところが似ているのですか!?」
「やかましゅうて、それでもなぁ・・確かに可愛げはあったですな?」

ぼんやりと佇んでいると話が振られ、追憶に浸っていた殺生丸が顔を向ける。
すると血色の良い膚に親愛を隠さぬ無邪気な笑顔と行き当たりすっと目を細めた。

「そう・・可愛らしい子であった。おまえほどの年頃のとき、出逢うたのだ。」
「!?・・・そんな子供の頃の母上とっ!・・いいなぁ父上、羨ましいです。」

子供は父の袖に縋るようにして焦れるように跳ねた。心底羨むかのように。
父は何も言わず、大きくしなやかな片手を子供の頭に置き、僅かに力を込めた。
撫でるでもなく、ただほんの少し置かれた手はすぐに去っていく。

「父上・・?母上は可愛らしかったのでしょう?どうしてそんな悲しい顔するの?」
「・・・・その頃は”小汚いヒトの子”としか思っていなかった。」
「ええっ!?・・じゃあ今はそう思う?!」
「気付いていなかっただけだ。今も昔も同じ・・」

ほんの少しだが父が微笑んだ気がして、子供は嬉しそうに笑顔を返した。
ハラハラしながら見ていた邪見がうっすらと目を潤ませていたが気に留めず
殺生丸は顔を空へ向け、またいつものような無表情になってしまった。
しかし子供はがっかりすることもなく、正々堂々とした父の姿に満足そうだ。

「父上っ!母上はきっと父上のこと大好きだったですっ!私みたいに!!」

子供が叫んだ。その背景にはどこまでも澄んだ空と白い雲が広がっている。
大空には子供を誇らしげに見守る母親の姿が浮かんでいるような気がした。

「今も昔も・・変わらぬな。」

何一つ変わっていない無邪気な想い。女になり母となってもあの頃のまま。
殺生丸の愛した子供は今も傍にいる。子供もやがて大きくなって傍から消えても
いつかまたどこかで出逢うのだろう。あのとき自分を見つけた小さな子供のように。

”何が嬉しい・・・様子をきいただけだ”

殺生丸が見つけたのは笑顔だった。子供の嬉しそうな顔。
ずっと護りたかったもの。愛しんできたもの。望んでもいなかった。

微笑むような白い雲に殺生丸は想いを馳せてみる。そこに居るならば聴け、りん



私にはおまえがいる 何も案ずるな 笑っていろ
今も昔もおまえを ただひたすらに 愛している


小さな子供も父に倣って空を仰いだ。風が髪をなぶり過ぎて行く。
幾つになろうと気付くこととはあるものだと殺生丸は目を閉じた。
目蓋の裏の子供の顔は何年経とうとも色褪せることはないのだった。