やさしい彼 〜by 有馬司京さま



霞みがかったようにぼんやりとしているけれども、覚醒している。
ゆるゆると意識が浮上していくのを、自身で感じていた。
音は把握できる。鳥の囀りが聞こえた。庭のししおどしの音も耳を打つ。
自分が陽にあたっていることも、閉じた瞼の明るさから解っている。
場所は縁側。ぽかぽかと暖かい陽と、すっと頬を撫でる風を感じている。
そして、自分が大好きな人の腕の中にいることも。
衣越しに伝わる体温が心地よい。
逞しい腕に抱かれて、とても気持ちいい。

どうかしばらくこのままで、とりんは願った。
もう少しこうしていたいの。
殺生丸さまの腕の中で、もう少しだけ。

りんは希求の言葉を胸の中に並べて、祈るように目を閉じている。





瞼の奥で眼球が僅かに動き、体はかすかに身動ぎしたが、つり目がちな大きな瞳が殺生丸を射ることは無かった。
りんは、目を閉じたまま動かない。
起きているのだ。しかし、眠っている振りをしているのである。
りんを腕の中に閉じ込めて、注意深く彼女を見つめていた殺生丸にはすぐにわかった。
狸寝入りであると即座に看破したが、殺生丸は何の行動にも移らなかった。
ただひたすら、りんを見つめる。
僅かに口角を上げて

いいだろう。お前の嘘に付き合ってやる。

殺生丸はりんを抱く腕に力を込めて、愛しき娘の瞳が自身を射るのを待っている。








意地悪な彼 〜by 有馬司京さま

りんは、殺生丸の腕の中にいた。
逞しい隻腕に体を委ねて午睡していた彼女は、目覚めても目を開けるという行為に移らなかった。
目を閉じたまま、殺生丸の腕の中にいたいと願ったのだ。
ほんの少しだけと心の中で祈って、りんは呼吸に気を配り目を開けず、じっとしていた。
微かな風に揺られて擦れる葉の音を聞き、庭全体に響き渡る小鳥の囀りに耳を傾ける。何
よりも殺生丸の腕の感触と、全てを包み込んでしまいそうな大きな体と、着物越しにも感
じ取ることのできる体温に心地よさを感じていた。

しばらく殺生丸に全身で浸っていたりんであったが、体が限界に近づいていた。
呼吸を意識するということはなんと難しいのか、とりんは必死に呼吸を整える。
姿勢を保つということはなんて難しいのだろう、とりんは必死に耐えていた。
けして無理な体勢をしているわけではないが、一定時間動いてはいけないということがどれほど辛いのかということをりんは身をもって知った。
しばらくこうしていたいと願った。もう少しだけ、殺生丸さまの腕の中にと。
願っていても、こんな風な無理もあるのかとりんは妙に納得してしまった。

もう起きようかと思案して、りんは新たな疑問にぶつかり思わず声を上げそうになった。
殺生丸に寝ている振りをするのは簡単であった。目を開けないように、呼吸が乱れないように演技すればよかった。
しかし起きる時にはどんな具合に起きればいいのか、さっぱり思い浮かばないのだ。
自分が起きるときは一体どうしているだろう?と思い返してみても、それらは全て無意識下での行動で、考えれば考えるほど不自然な気がする。
まず、体を動かそうか?それとも目を開ければいい?
目を開けるも、勢いよく開ければいいのかゆっくり開ければいいのか・・・。
考えていくうちにも体が限界へと向かっていく。考えることさえ体の苦痛に阻まれ、りんは勢いよく目を開けた。

光が一気に飛び込んできて、耐えられずりんは一度開けた目を再び閉じた。
眩む目をニ、三度瞬かせて薄く目を開けると、金と銀が飛び込んできた。
それは、殺生丸の瞳の色。それは、殺生丸の髪の色だ。
殺生丸の顔が至近距離にあると気付いたりんは、起きる演技も忘れて驚いた。
顔に一気に血が巡って行き熱くなっているのが、自分でもわかる。
「せっ・・・しょうまるさま?」
「起きたか?りん」
問われた声に、ぞくぞくした。
殺生丸の腕に全てを委ねていたときの心地よさとはほんの少し違う、りんの胸をあたたかくする低い声音だ。
こんな風に声を聞けるのもとても嬉しいと感じながら、りんは殺生丸の瞳に惹き込まれそうになる。
起きる演技など忘れてしまっていた。鋭利だが、確かな熱を秘めた瞳に囚われぬよう踏ん張るので精一杯だった。
「りん、残念だったな」
「・・・何が?」
突然の言葉に、りんは小首を傾げる。
「つい今しがた、邪見が桃を持ってきたのだが・・・おあずけだな」
「ええっ嘘っ!」
殺生丸の金の瞳が妖しい光を帯びたことも知らず、りんは声をあげた。
りんはずっと起きていたのに、邪見の声を聞いていないのだ。
縁側には二人だけだったし、響いていたのは小鳥の囀りだった。
「どうして嘘だと思う?」
「だって、りん邪見さまの声聞いてないよ」
「ぐっすり眠っていたように思えたが。りん」
言われて、りんは自分がけして言ってはいけないことを口にしてしまったことに気がついた。
りんは寝ていたのだ。殺生丸にはそう思わせようとしていたのだ。
真偽は別として、邪見が来たか来ていないか、何も知らないと応えなければりんの嘘は成立しないのである。
しかし、りんはすでに取り返しのつかない言葉を発してしまった。
「りん、私を欺いたのか?」
「そんなことしてないもん!」
ただほんの少し殺生丸と一緒にいたいと願っただけの行動だったのに、詰問されてりんはたじろいでしまう。
「では、何故邪見が来ていないことを知っている?」
すっかり混乱に陥ってしまったりんは、殺生丸が嘘をついているという台詞に気付かない。
邪見が桃を持ってきたなど真っ赤な嘘で、りんのこのような反応を見るために殺生丸が言ったデマである。
邪見ら部下には最初からりんのいる棟に近づくなと言い置いてある。
殺生丸は、頬を赤く染めて悩んでいるりんを見下ろし口角を上げた。
「教えぬなら、仕置きが必要だ」
「ええっ」
殺生丸の声音に身の危険を感じたりんは叫んだが、体は殺生丸の腕に包み込まれていて身動きならず、逃げられない。
どう行動しようか考えあぐねているうちに、殺生丸に耳たぶを噛まれてしまう。
それは、甘く。囁きは、砂糖菓子のよう。
「りん」
それは、閨と同じ熱のこもった響き。
りんの耳から電流のように全身を駆け巡っていく。
「んっ!」
りんは僅かに身動ぎ、眉をへの字に曲げた。このままでは“お仕置き”を免れないと本能で悟ったりんは、大人しく観念することにした。
「もう少し、殺生丸さまとこうしていたかっただけなの」
恥ずかしさのあまり、りんの顔は熟れた果実のように真っ赤に染まっている。
そんな表情で殺生丸の表情を窺うように上目遣いをするのだから、自覚が無いというのは厄介なものである。
殺生丸の体にはすっかり火がついてしまった。
「殺生丸さま、怒った?」
「怒ってはおらぬ。だが、私を謀った仕置きは必要だな」
「ええっ!」
まだお昼だよ、ここ縁側だよ、とりんは抗議しようとしたが、殺生丸の口唇によって全て遮られてしまう。
「んんっ・・・!」
何度与えられても、りんは殺生丸の口唇によって頭の奥がぼうっとしてしまう。
触れ合った場所から熱が広がっていくのを自覚しながら、その熱を放出する術を知らない。
熱を帯びた体が殺生丸を求めていくのを、りんは止めることが出来ない。
「せっ・・しょうまるさまぁ・・・」
呼吸のまにまに名を呼ぶ。それが殺生丸を煽ることも、りんは知らない。
快楽の波にさらわれて、りんは殺生丸に全てを委ねていった。








意地悪な彼女  〜by まりん



そもそも彼は彼女可愛さでしたこと。
意地悪と言っても彼女の頬を染め上げたに過ぎない。
だが自覚のない彼女はほんの少しばかり拗ねてしまった。

昼間、彼女は大好きな夫に抱かれて縁側でまどろんでいたのだ。
心地よい眠りから覚めたとき、その胸のなかから離れ難かった。
だから狸寝入りしてしまったのだが、もちろん彼にはばれていた。
可愛い妻の悪戯に夫である彼は気付かない振りをし、彼女に些細な罠を仕掛けた。
嘘をついて狸寝入りを告白せねばならなくなるように仕向けたのだ。
あっさりと罠に嵌り、彼女は真赤に染まって彼を喜ばせた。
その涙交じりの上目遣いと朱に染まる頬、困って縋るような様子に目が眩み、
昼間だというのに仕置きという名の甘い愛を施してしまった。
彼女は明るいうちから快楽に身を委ねてしまったことが恥かしかった。
冷静になってみると、彼に巧く丸め込まれたような気もしてなんだか悔しい。
「良く考えたら、なんでお仕置きされなきゃいけないのかな?!」と憤慨した。
「よおし、りん、お返ししちゃうんだから!」彼女は決意の言葉を口にした。

夜、政務を終えて妻の所へ帰ってきた夫はいつものお出迎えがないことを訝しんだ。
「りん、具合が悪いのか?」匂いで体調には異常ないと確かめつつも尋ねられた。
「・・・おかえりなさい。殺生丸さま。おやすみなさい!」
珍しいことに妻は布団を被り、棘のある言葉を投げかけ顔すらも見せない。
躊躇せず布団を剥がされて少し驚きながらも「や、りん眠いの。」と抗議する。
「疲れて帰った夫に随分な言いぐさだな。」とは言うものの怒りを感じてなどはいない。
「りんも疲れてるの!昼間だれかさんに酷いことされたから!!」
「ほう。」夫はさも面白そうに妻を見つめてそう漏らした。
「だから、今夜はもうおやすみなさい!」怒るりんであるが、殺生丸は寧ろその様子を楽しんでいる。
「そうか。だが私は眠れそうもないから遣り残しの仕事にでも戻るとするか。」
その返事は意外だったようでりんはきょとんとして「え、お仕事に?!」と訊き返した。
「ああ、愛しい妻を寝かせてやりたいが、傍に居てはまた”酷い”ことをしてしまうからな。」
すっと腰を上げ、その場を去ろうとするのを彼女は慌てて引きとめた。
「ま、待って!殺生丸さま。ごめんなさい!いやよ、置いてかないで!!」
さっきまでの怒りを忘れて必死に夫を引きとめようと追いすがる。
涙目で着物の端をつかむ彼女に内心『可愛い奴』とほくそえみながらも無表情で彼は言った。
「酷いことをする夫などは要らぬだろう?!」彼女の顔は困惑に曇った。
「えっと・・その・・・殺生丸さまが傍に居ないのは嫌・・・」
「夜は良くて、昼は酷いのか?」
「・・・だって、だって恥かしかったの。明るくて良く見えて・・・」
「何がだ?」夫は意地悪く更に訊いてくる。りんはしどろもどろになりながら
「何って・・・その・・殺生丸さまの身体とか・・・りんもすごい格好で・・・くすん・・」
「よく見えてわたしは好かった。」
彼女は真っ赤になって「いや〜!」と頭を振り、とうとう泣き出してしまった。
夫はその華奢な肩にそっと手を回し、抱き寄せると「すまぬ、りん。」と耳元に囁いた。
頬に優しく唇を這わせて涙も唇で拭い、最後に丁寧な熱い口付けをした。
妻が泣き止んで、腕のなかでうっとりとしているのを確かめると唇をゆっくりと離した。
「おまえ可愛さでしたことだ。許せ。」彼女をしっかりと抱きしめながらそう呟かれた。
「・・・意地悪。だからりんもお返ししようと思ったのに・・・」
計画が台無しになったかのように言う妻に夫は苦笑しながら告白し始めた。
「意地悪ならいつもおまえにされている。」
「え?りん、そんなことしてないよ?!」
「おまえが愛しくてする行為を『酷い』とまで言われ、いつも厭われる。」
「そんなに嫌なのかといつも己の行いを罪に感じる。」
「!?そんな!ごめんなさい、殺生丸さま。りん、殺生丸さまを傷つけたの?!」
驚き、申し訳なさそうに眉を寄せて、妻は夫に訴えた。
「恥かしいだけなの。その・・・するのは嫌じゃないよ。だって・・」
先を促そうと彼は妻の言葉が途切れたのをじっと見つめて待った。
「そ、その殺生丸さまとひとつになれるみたいで嬉しいし、・・・き、気持ち好いし・・・」
「そうなのか。」
りんの顔はまた赤くなって俯いてしまうが時折上目でちろと夫の表情を盗み見た。
嬉しそうな瞳に出迎えられると、ほっとして顔を上げた。そして言い訳のように、
「でもね、何回もするのは大変なの。りんへとへとになっちゃって次の日腰に力入らなかったりするし・・」
「昼間も誰かに見られたらどうしようとか思うし、それに・・・」
「何だ。」まだあるのかと半ばあきらめ顔の夫は仕方なく言ってみた。
「りん、何時の間にか大きな声がでちゃって・・・それが嫌。」
「何故?声は聞いていて心地よい。」
夫はそれがどうしたといった顔で、妻の恥かしさは理解できないようだった。
ただ、恥らう様子は夫にとって楽しいものであることは間違いなかった。
「あのときのおまえの声も姿も誰にも見せたりはしない。案ずるな。」
「うん・・・でも殺生丸さまに見られるのが一番恥かしい・・・」
消え入りそうな声でそういう妻に夫はもう耐えきれないとばかりに抱き上げ、褥に下ろした。
「殺生丸さま?」途惑った顔を見せる妻に夫は「一番意地の悪いことは・・・」
「?」なんのことかと首を傾げ、まっすぐに瞳へと入ってくる無垢な眼差し。
彼を虜にし、翻弄する彼女の穢れなさは求めれば求めるほどに彼に罪を感じさせる。
そして屈服し、溺れる彼を嘲笑うかのように彼女は美しく微笑むのだ。
「一番意地の悪いことは・・・おまえのその無自覚な誘惑だ・・・」
囁きは切なく、空を漂った。なぜならその囁きがなされた頃、二人は既に快楽の波にのまれていたから。
意地悪な彼女を胸に抱き、今宵も甘い誘惑に落ちる妖怪は誰も知ることのない溜息をついた。





かっぷりんぐ小説です。有馬さんの作品に感激して続きをリクエスト、
そして更に続きを書かせてもらい、前作も展示許可をいただきました。
有馬司京さんvどうもありがとうございました!(^^)