合図



めったなことでお目にかかることはない。
だから幸運なのかと問えばそれは疑わしい。
しかし目に入ってしまったらもう否定できない。
あの邑姜が居眠りしているのだ。

”有り得ないもん見た・・・”

若い王はいつだって隙のない彼女の普段の顔を思い浮かべた。
王よりも更に若く、少女と言って差し支えないとはいえ、
その有能たるや男などそっちのけ。王ですら例外でない。
束になってかかってもやり込められるほどの仕事ぶり。
冷静かつ真面目にそして大胆に任務をこなすあの娘が、
あろうことか執務室の椅子に掛けたまま目を閉じているのだ。

”ほんとに寝てんのか?”

秘密を見つけた子供のように沸き起こるものがある。
自分以外には誰も居ないのだから独り占めの状況だ。
そっと足どりも密やかに近寄ってみるが気付く様子はない。
いけないと思いつつ留められずに顔を覗きこんでみた。

”動かねぇなぁ”

目を閉じた彼女は年相応に見えて柔らかな印象だった。
それでも凛とした眉や意志の強そうな口元はそのままだ。

”眠っててもきりっとしてんなぁ・・”

うっかり見惚れている王は思わず顔を近づけた。
無遠慮な視線も感じないのか邑姜は微動だにしない。

”起こしたら可哀想だよな・・でも”
”・・・・”

「何をしておいでです?」

突然の声に王はみっともなく飛び退った。
「お、おま・・起きてたのか?!」
「いえ、今気付いたのですが。」
ぱっちりと目を開けた邑姜が王を見据えていた。
「お、おれは何も・・お・起こしたらいけねぇと思ってだな!」
「それはお気遣いありがとうございます。」
「お、おう。」
「失礼しました。お仕事に戻られて良かったです。さ、始めましょう。」
なんの気まずさも感じていないような様子の邑姜をちらりと眺め、
王は慌てふためいたことをなんとなく恥ずかしく思った。
「おまえ疲れてるんじゃねえか?仕事し過ぎなんだよ。」
「いいえ、ちっとも。少々仮眠をとっただけです。」
「〜〜あ、あのな、その・・顔覗き込んだりして悪かった。」
「は?」
「だから!珍しいなと思っておまえの顔を見てたんだよ。」
「そうですね、気配で気付きました。」
「!っんだよ、危ねーな!」
「何が危険なのです?」
「いや、何でもない。」
「顔を更にお近付けになったのは何かの合図でしょうか?」
「!!??」
「先ほどはついお尋ねしましたがいけませんでしたか。」
「何をしておいでかと不思議に思いましたので。」
「う・あ・それ・は・・その・・・」
「落ち着いてください。責めているわけではありませんよ。」
「だから、そう、お前の言う通り、合図だ。」
「はい。何の合図ですか?」
「おれが顔を近づけたら、目ぇ閉じんだよ。そうしろってことだ。」
「?ですから・・・何の」
「うっせーな。こういうことだよ!」



いきなりの無礼に対して本来ならば容赦しませんが、
一応合図を送ったとおっしゃるのでしたら・・・
とりあえず今回はお許しいたします。と邑姜は言った。

「・・・すまん。」
「全く、お戯れが過ぎますね。」
「おれは真面目だってーのっ!」


その王の開き直りに邑姜はあからさまな溜息を吐いた。
「眠っていたら普通合図には気付けないのではありませんか?」
「んだから、それは謝っただろう!悪かったって。」

誰にだってしていいことではないとわかっている。
だからおれは間違ってないと王は偉そうに腕を組んだ。
その頬を躊躇することなく邑姜は抓りあげた。
「痛てーっ!!」
「もう少し大人な態度を取れないんですか、あなたは。」
「おまえが厳しすぎるんだよ!おれはなぁ、おまえが・・・」

痴話喧嘩はいい加減にして仕事に戻って欲しい。
王の弟である旦を始め、執務に携わる面々は困惑していた。
彼らが隣の部屋で苛立ちを覚えていることを二人はまだ知らない。








発が何したかって・・・書かなくてもわかりますよね?!
開き直る発が書きたかったんです。おそまつさまでした。