揺れる瞳の扉



なぜ口付けするの、でもしてほしいの
なぜ見つめるの、私だけを見つめて欲しい
なぜ愛しいの、憎らしいほど


りんはまだ初めて心を打ち明けあってかわした口付けの余韻に包まれていた。
どうしたって眠れない、身体も心もあの人の元へ飛んで行きそうで。
満月だけを証人に交わした契約に似た口付けはりんを惑わせ、胸の鼓動が去らない。
あのあと離れたくなかった二人だったが、殺生丸はつらそうにりんの身体を離し、
「ここまでだ」と搾り出すように言った。見つめる瞳は金色に揺らめいていた。
りんは何がここまでなのかわからなかったが人の気配に完全にその手が離れると
とても寂しい取り残されたような感覚に陥りながら、その瞳を追うように見た。
しかしなぜかりんの視線に気づいていないはずのない殺生丸は眼を会わせようとせず、
「もう、遅い。休め」と言って部屋へ去っていってしまった。
距離を置いていたりんの世話役の侍女がぼうっとしているりんに近づき、
「りんさま、こちらでしたか。」「どうされました?」と尋ねた。
「え、あの、なんでもない・・・」とりんは上の空な返事をしてしまった。
「外は冷えますよ。お部屋にお戻りくださいませ。」優しく促され、りんは従った。
だがとても寝付かれずにとうとう起き出して習慣のように外を眺めた。
探さずとも眼の前にあった月が飛び込んでくると、また先程のことを思い出してしまう。
殺生丸がじっと自分を待っていると美しい妖怪が言っていた。
わたしに”ようやく気づいたのか”と言ったその瞳。
どきどきと胸はまた鳴り出し、りんはそっと唇に指で触れてみた。
熱かった。しかし滑り込んできた舌はもっと熱くて。
きゅうと締め付けられるように胸が甘く疼く。
「殺生丸さま・・・眠れないよ・・・」
りんは殺生丸の気持ちを知ったがまだわからないことがたくさんあるのだと感じた。
自分が彼を待たせ、辛い想いを抱かせているのだろうかと思いもまた揺れる。
何か見えない扉を開こうとして思いのほか重くなかなか開けられないといった
ままならないものを感じるが、また一方で簡単に開くような予感めいたものもある。
”どうしよう、どうすればいいの?殺生丸さま、教えて”
りんは眼を閉じてそのひとのあの揺れる瞳を思い浮かべた。
”ああ、きっと私も待っているの、殺生丸さま。だってこんなに切ない”




りんが切ない気持ちを持て余しているころ、重い扉に押しつぶされそうになっている男がいた。
彼は歓びとともに訪れた新たな苦しみにもがき苦しんでいた。
甘すぎた唇は彼の五官を狂わせ、己の想いと欲望の深さに吐き気すらする。
全て引きちぎり征服し蹂躙したいと願い、そしてまた
どこまでも大事に包みこみ誰からも目の触れぬところへ閉じ込め
まさに掌中の珠のごとく留めておきたい衝動と
”そんな眼でわたしを見るな。””何者かもわからぬほど愛している”
”この命をなんど焼き尽くしても構わぬほどおまえを欲している”
”涙をぬぐった唇はおまえの哀しみまで拭えたか”
”わたしを好きだと見つめた瞳をいつまでこの胸に留めておけるのか”
”りん、わたしを望んでくれ””おまえのほかに望まない”
揺れるりんの瞳が目の前から去らない。激流に翻弄されて息をするのも苦しかった。
おそらく最初で最後の彼の狂乱はお互いの瞳の扉の前で砕けて散る。
殺生丸はどんなに狂おしく想ってもりんの瞳の前で己が無力であることを知っていた。
りんが望まなければ何もできない愚かな自分をあざ笑っても
愛しさはやまず、これからも甘く彼を責め続けるのであった。
明日が遠く感じられた。りん、今わたしを想ってくれているのかと
らしくもなき感傷に気づくと周囲は彼の妖力で砕け散った夜具の残骸に酷いありさまで
どのみち眠れはしないと乾いた苦笑をもらして溜息をついた。