「引っ張らないで!?」



りんが目を覚ますとそこはいつもと違う風景だった。
”あれえ?ここりんの部屋じゃない・・・”
寝起きのぼんやりしたりんは身体に妙な違和感を抱いた。
だがまだ覚醒していない脳はその違和感を俄かに解明しようとはしなかった。
ふと気づくとりんの傍らにその部屋の所有者が横たわっていた。
”殺生丸さまが寝てる・・・うわー、珍しい。”
”睫、長ーい・・・”などと呑気に思っていると、
りんの頭はやっと種々の疑問を提示し始めた。
”そうだ、ここは殺生丸さまの部屋だ。殺生丸さまが寝てて当たり前だよね。”
”あれ?なんでりんが殺生丸さまの部屋で寝てたの?”
りんはどんよりと重い頭で昨夜のことを思い起こそうとした。
”えっと、夕食のときに確か甘いワインだから飲んでみるかって言われて・・”
”うん、とっても甘かった!美味しいからもっと頂戴って言って・・・”
”知らんぞ”って殺生丸さまが言って、それから・・・”
りんは顔を顰めて考えるがその後のことが思い出せない。
そうする内に先程からの違和感がお尻の辺りだと気付き、ふと手をやると、
温かくてふわっとした毛皮の感触に当り、首を傾げた。
”何、コレ・・・?尻尾みたい・・・”
りんはそれがなんと自分自身にひっついていることに気が付いたが、
”そんな馬鹿なこと・・・”と思いながら、それをそっと引っ張ってみた。
するとそれはしっかりと自身に繋がっていて、感覚もあった。
たらりと冷たい汗がすべり落ちた。
「殺生丸さまっ!」思わず叫んでしまい、傍らの男は飛び起きた。
「どうした?」言葉は冷静だったが目の焦点があっていない。
よほどぐっすり眠っていたのだろうか、不機嫌そうに眉が寄せられている。
「殺生丸さまっ!助けて、どうしよう!どうしよう、りん、りんね・・」
目に涙を浮かべ、悲壮な表情で縋ってくる少女はどこかいつもと違う。
「りん、落ち着け。」
「どうしよう〜!殺生丸さまああ・・・・!!!!」
りんが瞬きするときらきらと涙が光る。
しかしそれよりも目を引いたのはりんの頭にふっさりとした犬か猫のような耳。
じっと見つめているうちに頭も冴えてきたのか、眼前の事実に愕然とする。
いきなりその耳を触られて、りんは「ひやあっ!」と悲鳴を上げた。
実際にくっついていることを確認し、りんの背後ではたはたと揺れる物へ視線を移した。
お尻に殺生丸の手を感じてりんはまたも飛び上がって悲鳴を上げる。
「驚いたな。」落ち着いた声で殺生丸はそう言った。
「殺生丸さま、りん、どうしちゃったの?なんでなんで・・・?」
「わからん。昨夜の酒はかなり飲んでいたが・・・」
「あのお酒のせい?りんがお酒飲んだからなの?」
「いや、いつもと違うことはそれくらいだと思っただけだ。」
「りん、殺生丸さまのお部屋で寝ちゃってたの!いつもと違うよ?!」
「それは・・・何もしとらんから違うだろう。」
「何?何するといけないの?」
「いや、だから、何もしていない。」
「?よくわかんない。じゃあ、やっぱりお酒かな?どうしたら治るの?」
「仮に酒が原因なら抜ければ治るだろう。」
「ほんと?!良かった。」りんは安心したように言った。
「酒が原因であればな。」
「元に戻らなかったら、りんお外へ行けないよ〜!」
「わめいても始まらん。それに・・・」
「なあに?」
「そう変わらん。」
「ええ?りん、猫でも犬でもないのに?!」
「・・・それより・・」
「はい?」
「触らせろ。」
「・・・ええええええええええっ?!」
りんは思わず殺生丸から後ずさりした。
「や、やだっ!な、ななんで?」
「いいから、来い。」
りんはふるふると首を左右に振り、拒否を表した。
「りん」
「・・・はい・・」
有無を言わせぬ迫力で見詰められ、りんは観念してしまった。
「痛いことしないでね?」
「ああ。」
りんはそおっと小動物が警戒するかのように主人の前へ進み出た。
目の前にやってきたりんの腕を掴んで自分の膝に座らせた。
大人しいりんに「いい子だ・・・」と囁くと獣耳へ手を伸ばした。
殺生丸の長い手指に掴まれたり撫でられたりは不快ではなかった。
だが、触られるとぞくぞくと背筋をたまらない感覚が襲った。
「ひっ!あ・あ、あの、殺生丸さま?」
「何だ?」
「・・・その、すごくくすぐったいから、もう・・・」
「そうか。」
意外とあっさり手を離してもらい、りんはほっとした。
しかしそれは束の間のことだった。
りんの尻尾に手が移動したからだ。
耳もぞくぞくしたが、尻尾は触られたとたん身体が飛び跳ねた。
えもいわれぬ感覚に耐え切れずにりんは声を漏らした。
「ああっ〜!」
その声が甘ったるく恥ずかしく、りんは真っ赤になった。
「痛かったのか?」
「う、ううん。痛くない・・・」
「では良かったのか?」
「え?良いって?なんだか力が抜けて・・・」
殺生丸は今度は少し引っ張ってみた。
「あ!ああん!」びくっと再びりんの身体が跳ねる。
「面白いな。」
その言葉にりんはむっとしながら、
「殺生丸さま?りん、困ってるのに!」
「そうか?そうは見えん。」
「ヒドイ!」りんはべそをかいた。
殺生丸は内心でこの異常な事態にほくそえんでいた。
その訳は昨夜のことに起因している。
殺生丸が昨夜りんに酒を飲ませたのには下心があった。
ところがりんは思った以上に酒に弱く、気持ち悪い、頭が痛いと訴えた。
介抱してやったがそのまま寝てしまったりんを仕方なくベッドに運んだ。
その部屋が自室だったのはまだあきらめきれなかったせいか。
だがすうすうと寝息を立てるりんの寝込みを襲うことはとうとうできなかった。
半ばやけになって自分もりんの傍らで飲むことにした。
そうでもしなければ眠れまいと判断して。
りんの部屋へ運ぶという選択肢もあったが寝顔に未練があった。
ジレンマに煩悶しつつ、やっと目を閉じたのはもう明け方近かった。
そんなこんなで彼はその憤懣を解消する好機を得たと思ったのだ。
りんが少々暴れようが、泣き喚こうが昨夜の返礼をしてもらおう。
そんな自分勝手なことを考えていた。
一方りんはそんな身の危険は露知らず、慌てふためいていた。
いつもと違って殺生丸が自分に不遠慮に触れてくる、
それだけでも狼狽する理由に充分だったのだが
こんな風に赤ん坊のように抱かれたり、耳元で囁かれたり、
何故か生えてしまっている耳と尻尾を弄ばれて、動揺するばかりだ。
おまけに耳も尻尾もなんでこうびりびりぞくぞくと感じるのか。
感覚と状況に混乱し、困惑し、”助けて”と心の中で叫んでいた。
この人は自分にとって誰より安心できる人ではなかったのか、それなのに・・・
今りんは殺生丸がりんの知られざる一面を晒していることに驚愕もしていた。
この状況を楽しんでいるのがありありとわかる。
「殺生丸さま、どうしちゃったの・・・?」情けない声で呟くと、
「こんな状況を楽しまんでどうする。」と言われた。
「だっていつもの殺生丸さまと違う・・・」
「そうだな。」
「なんで?」
「お前もそろそろ知っておけ・・・」
恨めしそうなりんの瞳は大きく見開かれた。
突然に唇を奪われて抗議は遮られてしまった。
「苦情は受け付けない。」
りんは子猫か子犬のような可愛い悲鳴とともにゆっくりと押し倒された。
犬猫の幸せは飼い主次第と言われる。
りんの場合、まだ幸せかどうかなど判断できる状態ではない。
りんのパニックはどんどんとエスカレートしていった。
男には耳も尻尾も生えてはいなかった。                      
だがそんなものはなくとも男は容易く獣になれるのだ。
その勉強はかわいい子猫ちゃんには高くついたかもしれない。


                 お終い(続きは大人になってから!)