初光



りんは息も白い冬の寒さの中だというのに
安らかに寝息をたて規則正しい呼吸を繰り返していた。
その細い身体はほとんどが見えず頭の先だけが覗いている。
「ことこと・・・」りんの心臓の音が響いて伝わる。
「すうすう・・・」柔らかな息が耳をくすぐる。
自らの豊かな毛皮に包まれた少女を起こすべきか否か、
妖怪は僅かな迷いを覚える。迷う必要もないものを。
少女の香りと匂いはゆるゆると妖怪を包み込んでゆき、
身体を包んでいるのは妖怪だというのにまるで少女によって
すっかりと何もかもが包まれているかのような感覚に陥っていた。
”起こしてね、殺生丸さま”そう言って眠りについた少女。
”起こせば良いものを何故・・・”躊躇する己に舌を打つ。
ほんの少し腕を持ち上げて少女の顔を覗き込んだ。
だがあどけない顔をほんの少ししかめ「んん・・」と身じろぎすると
また毛皮にもぐるようにその身を妖怪に摺り寄せた。
”よほど眠いのかそれとも居心地が良いのか・・・”
あまりに無防備に身を寄せてくるのに己は居心地が悪い。
妖怪はそのいのちの暖かさが愛しいのに気付いていないのだ。
拾い上げて連れて歩き護り育てて妖怪は知らず知らず変った。
りんの全てが心地よいのに寒さから隔てるため身を抱くと
妙に居心地が悪いと思う。落ち着かないというべきか。
夜明けが観たいと言うりんの願いを叶えるためやって来たというのに
もうすぐそこまで朝日が顔を見せようというとき、彼はりんを起こすのを迷っている。
起こしてやればきっと嬉しそうに笑いはしゃぐであろうにと思うのに。
いつまでもこうしていたいなどと思う己を妖怪は気づくまいとしている。
その幸せに満ちた花の色に染まる頬におそるおそる指を伸ばす。
”りん”呪文のようなその何度も何度も声に出さず繰り返す言の葉。
たまに声に出せば「はいっ」と元気にそれこそ呪文のように彼の元へやってくる。
吸い寄せられる磁石のように、一目散に。
その姿を無表情で迎えながら”早く来い”と己の内が叫ぶ。
そんな感情を押さえ込むようにして彼はりんを見下ろす。
ぼろぼろと感情が零れぬように努めてゆっくりと話す。
りんは何を言おうが彼への信と親を放さず、ひたすらに慕う。
妖怪を愛しむように。まるで慈しむように。
りんは想いも感情も隠さず彼に与える。何時の日も。
与えることを知らぬ妖怪はそれを理解し難かった。
来る日も来る日もりんは彼に降り注ぐ光だ。
無くては生きられないのに掴み取ることは出来ない。
歯痒くやるせない想いを知りつつもその想いを捨て去ろうと努力した。
叶うことは無いと解ってはいたが。


新年といってもただの夜明け、初日といってもいつもと変るわけはない。
それを拝んだところで何になるのか分からぬがりんが望んだことだ。
彼は至上の光を手に抱いているので上り来る朝の光になんの望みもない。
ここに全てある。だがその光は眩しく妖には辛い。
手放せず、かといってどうにもできず不可解なまま寄り添う。
少し腕に力を込めるとりんはゆっくりと眼を覚ました。
その瞼と睫の動きを見詰めながら彼はひたすらに待つ。
その唇から己の名が生み出されるのを。
己を目覚めさせるために。生きていると確かめるために。
ぼうっとしながらも妖怪に眼を向けじんわりと微笑んだ。
「殺生丸さま、おはよう」妖怪を楽しませる音、りんの声に耳を清ませる。
「目覚めたか」確かめるように眼を覗くと瞳にはしっかりと意思が宿った。
「うん。あれ?もう明るい」りんは慌てて朝日を探す。
ちょうど頭を覗かせたくらいの太陽に無邪気に手を伸ばす。
「わあああ、殺生丸さまっ!きれいー!!」光が、笑顔が零れる。
はしゃいだ後うっとりと日光とその景色全てに見惚れている。
「朝日って殺生丸さまみたい・・・」りんがぽつりと言った。
照れたように妖怪に向き直り「ずっとみていたいな」と笑う。
妖怪は黙ったままりんを見詰め続けている。
りんの言っていることは妖怪が想うことと同じ。
だが彼には素直に口に出せなかった。ただ「そうか・・・」と呟いた。
「うんっ」満足そうに頷くとまた視線を外に向けた。
彼はそれがなにやら寂しくなって「・・・同じなら」
「いつもみていろ」とりんの頭を己に向けた。
「?」りんは意味がわからないようだったが妖怪を見詰めて
「はい」と返事し、その後も彼から視線を外さなかった。
そのことに満足した妖怪はまた黙ってりんを見詰めた。
「・・・殺生丸さま?」りんは首を傾げてちょっと居心地悪そうだ。
「なんでりんのことばっかり見てるの?朝日は見ないの?」
「見たら悪いのか」無表情でそう言う妖怪にりんは眼を見開いて
「ううん、いいけど・・・」上目で恥ずかしそうに言ってほんのり頬を染めた。
「けど、なんだ」
「なんだか・・・胸がどきどきするよ」りんが素直に想いを吐露する。
「だから?」
「なんだか意地悪だなあ、殺生丸さま」りんはもじもじとしながら恨みがましく言う。
妖怪は何も言わない。りんはあきらめて「殺生丸さまのことならいつも見てるよ」
口を尖らせてそうぼやいた。見ていろと命令した妖怪にまるで言い訳するように。
その少し尖らせた唇に妖怪の唇が一瞬重なった。
あれ?と不思議そうな表情でりんは口元を緩めた。
妖怪は嘘のように無表情でそこに居る。りんは眉をしかめた。
「殺生丸さま、いまりんに触った?」気のせいだと思ったのか尋ねてくる。
「それがどうした」事も無げに言われてりんはますます顔を複雑にして
「だって・・・なんか・・・変・・・」また口がふさがれて最後まで言えなかった。
ただ触れるだけの口付けだったが名残惜しげに妖怪が身を引くと
案の定ぽかんとしたままりんは固まっている。
「どうした」
「何言おうとしたんだっけ」
「さあな」
「忘れちゃった」
「そうか」
りんは困ったような顔をして殺生丸の胸にもたれかかった。
顔をその広い胸に擦りつけ「よくわかんない」と彼を抱き寄せるように腕を背にまわす。
そんなりんを抱え込むように抱き寄せてまた毛皮で覆い隠してしまう。
りんはほっと安心したように身体の緊張を解き眼を再び閉じた。
「わかんないけど・・・なんか嬉しい」と呟くとりんは眠りに落ちかけている。
もう一度今度は額に口付けされたがりんは気づかずにそのまま眠ってしまった。
「よく寝る奴だ」そう言う妖怪はことのほか幸せそうで
暖かい光を腕の中に閉じ込めて自らも眼を閉じた。
光は何もかも覆い尽くし我を照らす。
愛欲でない口付けを知ったのもこの光を見つけたからだ。
今はまだこのままで、いつか認め合い愛欲を知るまでこうしていたかった。
愛は知らずともおまえは解る、わたしをみまもる光だと。
男でも女でもなく人でも妖でもなく二人は光に融け合っているかに見えた。