春宵 



年が改まりりんは晴れ着姿でいつもより大人しく見えた。
邪見がいつもそうしおらしくしておれば良いと嫌味を言いつつ
何処から見ても可愛いお姫様じゃなと内心親ばかなことを考えていた。
さて館の当主、殺生丸は相変わらず無表情ではあった。
だが先ほどから祝い酒のすすみが早い。
新年の挨拶やらの面倒から解放されたせいもあって寛いでいた。
「殺生丸さまって、お酒強いんだね」りんは感心して言う。
「それはもう、親譲りじゃからな!」邪見が胸張って答えた。
「そうなの?」りんは邪見に向き直ってきいてみた。
「おお、それはもう先代は酒豪であった。おまけに奥方様ときたら!」
「へえ〜、おっとうもおっかあも強いんじゃ当たり前だね」りんはさらに感心した。
「あまり酔えぬので、一度宿酔してみたいと零しておられた。
「?なに、しゅく・・」りんが聞きとがめて眉を顰めた。
「ああ、二日酔いのことじゃ」邪見が言い直してやった。
「それって次の日に気持ち悪くなること?」
「そうじゃ」
「じゃあ、殺生丸さまもなったことない?」りんは向き直り笑顔で尋ねた。
「ない」あっさりした答え。
「ふうん、つまんないな。殺生丸さまって酔ったこと全然ないの?」
今度は無言で杯を口へと運ぶ。どうやらないらしい。
「酔っぱらったとこ見てみたいなあ、ねえ、殺生丸さま」
「そしたらりんが介抱してあげる」りんは無邪気に提案した。
「あほか、お前は!よいか、酔った男を介抱なぞするものではない」
「なんで?」
「慎みあるものがすることではないのじゃ」
「よくわかんない」りんは得心がいかないようだ。
「殺生丸さま、言ってやってくださいよ」邪見は助けを求めた。
「りん」
「はい?」
「私以外は許さぬ」
「それじゃあするなってことじゃない」
「その通りじゃ、いいかげんにせい」
「なんで怒るの?邪見さま」
りんの不服そうな様子に邪見は困惑し、殺生丸は内心おもしろがった。
「邪見」「あれを用意せよ」いきなり命じられたので邪見は目をむいた。
「あ、あれとは・・・?」邪見が冷や汗をかいている。
それを見たりんの世話役の朝香が助け舟を出した。
「今お探ししてまいります。邪見様、こちらへ」
引っ張られて小声で囁かれたのは「あのお酒のことですよ」
「ああ、あれ?!ってまだあったのか?」ひそひそと話す。
「ええ、先代から大事に保管するよう仰せ付かっております。」
「りんのために酔う振りでもされるおつもりか〜?」
「さあ?先代でも太鼓判を押した名酒ではありますが、酔われたのは存じません」
「いったいどういうおつもりじゃろう」
ひそひそしながら去っていく二人を見送ってりんは尋ねた。
「殺生丸さま、あれって?」
「強い酒だ」
「殺生丸さまでも酔っちゃう?!」りんは目をきらめかせた。
「かもな」にやりと口の端が上がったのだがりんは気付かない。
「りん」
「なあに、殺生丸さま」
「めでたい席だ、おまえも飲むか」
「え?りん、飲んだことない」
「どうする」
「?!・・・えーと、二日酔いにならない?」
「少しならよかろう」
「そお?じゃあ、ちょっとだけ・・・」
おそるおそるお猪口を手にとり顔を近づけ匂いをかいだ。
そしてぺろっと舌で舐めてみた。
「わっ苦い!」りんは顔を顰めた。
「舐めたのでは味はわからぬ」
言われてりんは大胆にもくいっと一気に飲み干してしまった。
「ほう」殺生丸は愉快気な声を出した。
「うわー、喉が熱い〜!」りんは顔を赤く染め喉を抑えて言った。
「おまえ、いける口かもしれんな」出任せに言ったのをりんは真に受けた。
「ほんと?」そういうりんの目元が少々とろんとしている。
ほんのりと染まったりんは危うい目つきでたった一口飲んだだけとは思えない。
「せっしょうまる、さま」「もっと」りんはお猪口を差し出した。
面白がってりんについでやるとりんはまた一気に飲み干した。
目がまわるらしくりんの身体が揺れ出して明らかに酔いがまわったようだ。
ふらふらするりんを引き寄せて己にもたれ掛けるようにした。
「ひっく」りんは赤い顔で殺生丸を見上げ「せっしょうまるさまあ〜」としな垂れかかる。
そんなりんを見やりつつ殺生丸は酒を味わった。
「どうした?」と聞いて見ると「りんね・・・」
「りんはせっしょうまる、さまが・・大すきなの・・よ」少し覚束ない口調で告げる。
擦り寄ったのでりんの着物の裾が乱れて白い足がちらりと見えた。
「・・・せっしょうまるさま・・もりんのこと・・・すき・・?」
その切なげなりんの表情と普段とは違う艶っぽさはなかなかのもので
殺生丸は悦に入りじっとその様を眺め堪能している。
「ふあわわ、なんかりん、ねむ〜い」折角の色気が霧散した。
「せっしょうまるさまあ、なんかりん・・・へん・・・なの」
「酔ったのだ」「どうだ酒の味は」
「わかんない・・・せっしょうまるさま・・・」りんが再び身体を摺り寄せてきた。
「おまえを眺めて飲む酒は」「格別だな」りんの髪をひと房指にからめて口付けた。
「ううん・・なんか・おのどかわいちゃった」りんが少し苦しそうだったので杯を置き
水差しを手に取って飲ませてやろうとした。
しかしりんがまたしがみついてきて水がこぼれそうになる。
仕方なしに水は己が含みりんの顔だけ持ち上げて飲ませてやった。
「ん、んんん」りんが飲み込んだのを確かめるとつい舌を忍ばせた。
苦しげなりんを抱き寄せて唇を味わい、はだけた裾へ手を伸ばそうとしたとき
どやどやと足音を立てて邪見たちが戻って来た。
殺生丸は無表情だった。だがかなり落胆していたのかもしれない。
「・・・見つかったのか」と言うその声が嬉しくなさげだったからだ。
りんは殺生丸にもたれたまますうすうと寝息を立てていた。
「まあ、りん様ったら」「なんじゃ、りん!」二人は声をそろえて叫んだ。
「酔ったのだ」「静かにしろ」と睨まれ二人は残りの言葉を飲み込んだ。
小声で「いかがいたしましょう」と尋ねられ
「このままでよい」「後で寝かせるから寝床を」
「りん様のお部屋にご用意してまいります」と朝香は下がった。
「まったくりんのやつ、しょうのない・・・」ぶつぶつ言いながら邪見は酒を差し出した。
「殺生丸様、どうぞ」と頭を下げると無情な声が降ってきた。
「それはもうよい」
「は?」邪見は驚き口をぽかんと開けてしまった。
「もう充分楽しんだ」殺生丸はにやと微笑んだ。
それを見て邪見は震えあがり「さ、左様でございますか」とまた頭を床へと落とした。
「さがれ」と追い払われ邪見は殺生丸から離れると
「・・・殺生丸様、ご苦労の一言くらい言ってくれたって・・・」と零した。
「初酔いだな」殺生丸もまたりんを見ながら呟いていた。
りんがむにゃむにゃと「はるよい?」と寝言を言った。
ふっと苦笑を漏らした殺生丸はまだ早い春を想い目を閉じた。
”春、またりんと酒でも交わすか”と幸せな夢を見ているかのように・・・





もえ子さんへの捧げ物です。
素敵なキリリク絵をありがとうございました。