「春の雪」



風は南から強く吹いていた。春の名残の桜ははらはらと散る。
とうに桜の季節ではなかったが、時を忘れたような枝垂れ桜だった。

「呆けてまだ散らぬ桜がある。りん、見るか?」
「えっまだ咲いてる木があるの!?見たいです!殺生丸さま。」

どこからそういったことを仕入れてくるのやら、と邪見は怪訝しむ。
りんが喜びそうな話を常日頃探していらっしゃるのではと疑ってしまう。
そしてそんな時、いつも邪見は留守番だ。面白くないが仕方もないこと。

「今日は風の強い日ゆえ、りんが風邪でも引きませんか?」
「ええっ!?邪見さま、それなら急がないと花が散ってしまうでしょ!?」

意地悪をしたわけでなく、単にりんの身を案じただけだというのに、
殺生丸は邪見を見向きもせず、とっととりんを抱きかかえて空へと舞った。
不貞腐れた小妖怪はぶちぶちと空を見上げ、諦めの悪い目をしてずっと佇んだ。

「邪見さまも行きたかったんだよ、きっと。」

りんは残してきた親代わりのような殺生丸の従者を気の毒に思った。
しかし、りんを抱いているその主は全く聞こえてもいないかのようだった。
ごめんねと心で呟いたりんだったが、下ろしてもらった場所で何もかも忘れた。

「・・・・・すごい・・・・!!!!!」

飛んだのは半時ほどであったが、道程など最早きれいさっぱり記憶にない。
りんは洗われて頭から足先まで、自分が真っ白になったような気さえした。
大木から枝垂れかかる桜は見事の一語に尽き、小さなりんを圧倒したのだ。
山から吹く風は確かに強く、冷たさで凍えそうなほどであった。
だからこそ、今の今まで散らずに残っていたのだろうと思われた。
りんは言葉も失い黙り込んで見上げるばかりだった。そのすぐ傍らの殺生丸は
動かないりんに少しずつ懸念が広がり、とうとう後ろから再び抱き上げてしまった。
さほど驚きもせず、視線が桜に釘付けであることを認めると殺生丸の表情は曇った。

「・・・寒くはないのか?」

殺生丸はりんの耳元に低く囁いた。にも拘らずりんはこくんと首を縦にしただけ。
普段ほとんど変化がないと噂の大妖怪の顔は今度こそ誰がみても明らかに険しくなった。
そこへ殺生丸の気分を推し量ったかのように強風がごうと音立てて襲い掛かった。
りんもさすがに目を瞑り、殺生丸の腕に隠れるようにして身を縮こまらせて震えた。
毛皮と自らの腕でりんを風から護るべく囲う殺生丸は覗き込んでりんの様子を窺った。

「・・寒いのであろう?」
「ううん!殺生丸さまがいるから大丈夫。」

りんは穏やかに晴れ晴れと微笑みを返した。その顔はいつもならば殺生丸を喜ばせるものだ。
しかしそのときは何故か険を含んだ眉の狭間に不満の文字がありありと浮かんでいる。
ようやくそれらに気付いたりんが不思議そうに丸い目をくるりと廻すように輝かせた。

「殺生丸さま。とっても綺麗な桜だね。ありがとう!」
「・・礼を望んだのではない。」

連れてきてもらってお礼が遅れたと思ったりんは正直に心から礼を述べたのだ。
しかし殺生丸の表情は変わらなかった。寧ろ一層険しくなったかにも思える。
そこへ風に乗って花びらが舞い散り、りんの眼の前の殺生丸の袖にひらり舞い降りた。

「あ、花びら。」

その一片に手を伸ばそうとしたりんだったが、殺生丸の肩越しからまた風が吹いてくる。
風に従うように一斉に散り始めた桜が二人の視界いっぱいに広がり雪のように降り注いできた。
幻想的な光景にりんは息をのむと、またもや我を忘れて目の前の世界に吸い寄せられた。
まるで花の嵐に虜になったようだった。うっとりと頬を染め、酔いしれた心地そのままの表情。

「・・・きれい・・・」

呟きは風に流れ、りんをあっという間に置き去った。それでもお構いなしにりんは見惚れていた。
ところが、ふとりんの眼の前は遮られ暗くなった。驚いて抱かれた腕に置いていた手に力がこもる。
自分の体が殺生丸に抱きしめられていることに気付くと、どうしてそうなったかとまた驚いた。
先ほどまでびゅうびゅうと耳に届いていた風の音さえ聞こえないほど、懐深く抱き込まれている。
息はできるのだが、押し付けられている殺生丸の体と自分の体がいやに熱い気がして動揺した。
鼓動が早まっていくのがわかる。頬までが熱くなって思わず力の入った体は更に強く抱かれた。
どうしていいのか、どうするにも身動きもできずりんは突然別世界に連れてこられた気がした。

”もしかして・・りんは死んだの?・・桜を見ていた気がするんだけど・・”
”ううん、暗いけど死んだんじゃない。だって熱くて体全部がどくどくいってる”
”殺生丸さまだよね。殺生丸さまがりんを包んでいるんだよね!?”
”それなら何も心配いらない。だけど・・どうしてこんなにどきどきするんだろ?”

その時殺生丸は自由を奪っておきながら、緊張の解けていくりんに焦りを覚えていた。

”桜などに・・我を忘れて”
”これほどに抱きしめても”
”私はそれほどに・・軽々しい存在か?りん”

「殺生丸さま・・?泣いてる!?」

押し付けているせいで聞き取り辛いりんの声が、殺生丸の胸板に直に響いた。
腕を緩めてりんをそっと見やると、りんのほっとした顔が飛び込んできた。

「よかった。もしかして苦しいのかなと思って・・」
「その通りだ。」
「え!?苦しいの!?殺生丸さま、しっかりして!」
「今、お前はどこにいる。何をしている。」
「え?・・りんはここです。殺生丸さまの前に。」
「桜に心奪われていただろう。」
「いいえ、見惚れてたけど。」
「どこにいるかも忘れていただろう。」
「まさか。」
「嘘を吐くな。正直に言え。」
「殺生丸さまとこんな場所にいるのが信じられないような気はしてました・・」
「・・・真か?」
「はい。だから・・びっくりしたけど・・こうしてもらえてよかった。」
「抱かれていたことは知っていたか。」
「もちろん。どうして?」
「ならば・・良い。」
「ね、殺生丸さま。桜が雪のようですね。」
「・・ああ、そうだな。」
「桜吹雪って言うんでしょう?りんこんなすごい雪を見たの初めて。」
「・・そうか。」
「ありがとう殺生丸さま。それに・・こうしてもらえて・・」
「・・・?」
「どうしてだかどこにいるのかわからなくなったの。どきどきして。」
「それが・・不安だったというのか。」
「ううん。嬉しかったの。この世に二人だけのような気がしたから。」

恥ずかしそうなりんの頬は桜よりも桜色だった。その美しさに目だけでなく心が奪われる。
殺生丸は散り行く桜の雪が降り注ぐりんの髪を優しく、とても優しく撫でた。労わるように。

「りん・・お前は・・ずっとここにいろ。」
「ここ?・・はい。ずっといます。」

大きく頷いたりんの眼差しに己の想いの丈を込めた視線でかえすと、殺生丸はりんに口付ける。
桜の花に舞い降りてしまわれぬように急かされ、しかしゆっくりと。鮮やかに視界は彩られる。

「忘れるな。いつでもここにいる。」
「殺生丸さま・・・はい。」

見交わしたりんの瞳に映っているのは今は己唯一人。そのことに満足したのか殺生丸は花の嵐を仰ぎ見た。
殺生丸の想いが自分に降り注いでいる。そう感じたりんは桜色の頬のまま、倣うように空に向け微笑んだ。






殺りん☆お久しぶりです!雪か桜の降る背景の絵をリクエストをいただいたのですが・・・
ちゃんと背景になっておらんです!ごめんなさい!せめてお題として文を書かせていただきました。