その花の名は 



「殺生丸さまなんて、だいっきらい!」草原にこだました良く通る声。
りんは顔を真っ赤にして叫ぶとたたっと駆け出して行った。
「こ、こりゃ待て、りーん!何処へ行くのじゃ」心配気な声。
「ほうっておけ」不機嫌な主の声にびくりと身を震わす老僕。
拾った人の子は娘になり身を飾ることを覚えた。
ただそれだけのことなのに、何故。



犬の大妖は老僕邪見とともに長く人の子を育てていた。
粗末な着物、折檻されぼろぼろの顔や身体、痩せて小さな娘。
いまはもう見る影もなく、小奇麗な着物、すんなり伸びた手足、愛らしい顔立ち。
娘は妖怪に命を貰ってからずっとともに暮らし、妖怪を慕い無垢なまま育った。
ひたすらに慕う様は健気で、めったに逆らうことなくなくむしろ服従の姿勢。
だからその反抗は主である殺生丸を戸惑わせた。
「りんの奴め、いったいどうしたんでしょうな」邪見は不思議そうに呟く。
りんが主に腹を立てることなぞいままでに無い事だったのだ。
いつも馬鹿がつくほど従順に主の傍でにこにこと花のように笑う娘。
それがたかが花を握りつぶされたくらいであのように怒るとは・・・
年頃になったりんは昔からよく摘んでいた花を髪に飾るようになった。
そのことを主は別に咎めず、りんも褒められるでもないのに不満もないようだった。
なのに今日はどうしたことか、主を出迎えたりんの髪からいきなりその花を抜き去り
いまいましそうにクシャと握りつぶして主の毒の爪で溶かしてしまった。
りんが「どうして?」と不安げに訊くとさらに不機嫌になり
「わたしのすることに口を出すな」と言い放たれた。
「でも今日のお花は特別なの!」りんは悲しげに訴えた。
「くだらん」それだけ言って黙った主にりんは大きな瞳に涙を浮かべ
「殺生丸さまなんて、だいっきらい!」悔しそうで切ない叫びだった。
そしてりんが言ったことはおよそ本心とはかけ離れていることを
主もわからぬではなかろうにますます不機嫌に黙ってしまい、ぴりぴりと張り詰めた。
”どうしたらいいんじゃ、りんを探しにいってはいかんのか?”邪見は迷った。



りんはその頃川のほとりに辿り着き少し乱れた髪を水面に映していた。
「殺生丸さまの・・・ばか」またぽつんと寂しげに呟いた。
ただ見て欲しかっただけなのに、綺麗って言われなくても似合うって言われなくても。
りんは花を貰った男の話を思い浮かべた。「この花はな、想いを告げる花なんだ」
「ええ?素敵ね。」りんは興味津々だ。
「好きな男に好きだと告白する代わりに髪に飾って見せるんだ」「そしたら」
「そしたら?」りんはきらきらとした瞳で男を見詰めた。
「男が花をつけたおまえさんを褒めるとかすると、想いが叶うんだとさ」
「ほんとう?」花のように美しくりんは微笑んだ。
「ああ、おらのおっかあは嘘つかねえよ。」「おとうと一緒になったしな」
「うわあ、いいな。」「教えてくれてありがとう」
その男は花売りで実際は商売上の誘い文句かもしれなかったがりんにその花をくれた。
「ほら、やるよ。おまえさんにとてもよく似合ってる。」
「ええ!いいの?りん何ももってないけど・・・」
「ああ、特別にな。おまえさんがすごく可愛いからさ」照れたように男は言った。
「?りんが、可愛い・・?」不思議そうなりんの顔に男は驚いて
「言われたことないのか?」と訊いた。「花を見せたい男なんだろ?」
「うん、ないよ。」あっさり答えると「へえ、そいつは男じゃないな」と言った。
「男だよ、でもそのひとのほうが綺麗だもん」
「そいつは驚きだ」悪気無い若者は笑って「そいつによろしくな」と去って行った。



”りんったら、なんで嫌いなんていったんだろ・・・”りんは落ち着いたら後悔が襲ってきた。
”殺生丸さま、ほんとに嫌いって思ってしまったかな?”不安になって顔は曇る。
”どうしよう、謝ったらいいのかな””でもあんなに酷い事しなくったって・・・”
りんはどんなに酷いと思い込もうとしても彼を思うと胸は痛み思慕でいっぱいになる。
”どうしてもだめ、りんは殺生丸さまが 好き”そう思うだけで熱いものが込み上げる。
りんはどうしてよいか解らず、「もー、知らない!」とうとう手足を川辺に投げ出してしまった。
りんがそう遠くへ行っていないことは殺生丸にはわかっていた。
いつものように、辺りに危険がないことも匂いで確認済みだった。
”あれが男の匂いなぞさせるからだ”気に入らなかったのはそれらしい。
”花なぞ受け取りわたしに見せるとは””・・・馬鹿がっ”
殺生丸は先程の自分のした愚かさは棚に上げりんを責めた。
しかし珍しく拗ねてしまったのかりんは一向に戻る気配がない。
邪見がおろおろとこちらを窺っているのが鬱陶しくなり、腰を上げた。
「殺生丸さま、りんをお迎えに?」問い掛けたが無視された。
しかし長年仕える邪見には主がりんを見捨てたり、放っておいたりなど有り得ないと悟っており、ほっと安心の溜息をついた。
”やれやれ、りんが年頃になってきた頃から殺生丸さまは不機嫌になられることが増えたのう”とひとりぼやいた。
りんは川辺で膝を抱えてまだぼうっとしていた。そろそろ日暮れだが帰る気に何故かなれない。
さく・・・と背後に静かな音が聞こえる。”殺生丸さま!”りんはすぐに気づいた。
だがなぜか振り向く気になれない。りんはわざと気づかぬ振りをした。
「りん」いつもの呼び声にりんは反応を示さない。
すっと歩を進めるともうりんのすぐ後ろだった。
りんは迎えが嬉しくてとびつきたかったが敢えてそうせずぷいと顔を背けた。
その反応にまた少し腹立たしさを感じるがなんとか押さえた。
「あれを差し出した男はおまえになんと言った」突然問い掛けられてりんは驚いた。
「・・・りんが可愛いって、よく似合うって・・・」素直に答えてしまった。
ふんと鼻で笑われてりんはかっとなってしまった。
「りんだって嘘だとおもったけど、笑わなくたっていいじゃない!」大声で言ってしまった。
振り向いてその無表情な愛しい男の顔を憎らしげに上目で睨んだ。
「あれが質の良くない男なら」「おまえはここに居らぬ」
りんははっとした。殺生丸は自分を心配したのかと思った。
「命はあったとて男に嬲られていたであろう」
意味がよくわからなかったがりんが男に酷いことをされていたかもということか。
「馬鹿が」殺生丸がこんなにしゃべるのは珍しい。
「どうせ、りんは馬鹿だもの・・・」悔しくて涙が滲んだ。だが心配してくれたことが嬉しかった。
「おまえに男が近づくことは許さぬ」「わたしのほかは」
りんはそれを聞いて俯いていた顔をゆっくりと戻した。
殺生丸の顔はいつもの澄まし顔だったがりんはその金の眼がゆらゆらと揺れているのに気づいた。
「男のひとと居たから怒ってたの?」りんは疑いながらも訊いてみた。
何も答えが返らなかったので、りんは肯定だと判断した。
「りんが綺麗じゃないからかと思った」そう呟くと
「花なぞ要らぬ」「おまえが居れば」
りんの眼から綺麗な雫が滑り落ちると幸せそうに綻んだその笑顔はまさに花のよう。
愛しいそのひとに縋りきたいと思うより早く、りんは抱きしめられていた。
「殺生丸さま、嫌いなんて言ってごめんなさい・・・」
りんはすっぽりと懐に包まれて素直に謝った
だが返事は聞こえず顔を持ち上げると金の瞳。
うっとりと眺めていると瞳はさらに近くなり、りんは思わず眼を閉じた。
なぜそうしたのかわからない。ただその金色が眩しくて。
痺れる頭でただただ感じる愛しい想い。
重なってから随分長いときが過ぎりんはそれが口付けと気づかぬうちに意識を手放した。
りんを丹念に味わい、昂ぶる想いを思い知らせようとしたがりんはくたりと腕の中。
まさかこれしきで気を失うとは思わず驚く。だがりんを抱きなおすと空へと舞う。
この世でただひとつの花を腕にいつのまにか降りた夜の帳の中を妖怪は消えて行った。


その花の名は「りん」その妖怪のためだけに咲く




                      〜Fin〜








3万HITキリリクにお応えしたお話です。
美穂さん、どうもありがとうございました。