花の舞



桜には精霊が宿るのだよ、それも美しい女の姿。
りんは留守番の森で風に誘われた。誘うのは森の木霊。
ふらふらと足を運んだ先は桜の老木を中心に桜、桜、桜の木々。
透き通った羽衣を纏った女たちがりんを手招いた。
ふわりふわりとりんの身体が羽衣に合わせるように揺れた。


「申し訳ありません!」

頭を地面に擦り付けて邪見は必死の命乞いをした。
主の留守中にりんに何かあることは彼にとって最悪の事態。
ここしばらく平和な道中、邪見は油断したと歯噛みした。
主は自慢の鼻でりんの後を追う。それは意外にもたやすかった。
青くなった従者を置いて、帰ったばかりの妖怪は再び舞い上がった。
森の入り口で降り立ち、奥へと足を踏み入れる。
拍子抜けなくらいあっけなくりんは見つかった。
柔らかな草の上に寝転んだ娘を殺生丸は抱き起こした。

「りん」

呼んだのは一度きり。しかし娘は目を覚まし、大きな目を丸くした。

「あれ、殺生丸さま!おかえりなさい。」
「何をしていた。」
「桜さんたちの舞を見てたの。」
「舞だと?」
「そうだよ、きれいだったよ!殺生丸さまにも見せたかった。」

周囲はなるほど桜の木が取り囲んでいたが、まだ花は咲いてはおらず、
蕾を膨らませ、春近いことを知らせているかの様子だった。
りんはどこも変わりなく、殺生丸は桜が何をしたかったのか怪しんだ。
しかしりんの嬉しそうな表情と変わらない姿を得て興味なさげに立ち上がる。
木々に向かって、りんは礼を述べ、手を振ってそこを後にした。
来たときとは違い、今度は主の殺生丸に抱きかかえられながら。

「あんなきれいな女の精霊さんたち、殺生丸さまも見せてもらえば!?」
「くだらん。」
「きれいなひと、好きじゃない?」
「・・・」

主の沈黙は肯定。りんは不思議そうに首を傾げる。
美しいものに興味のない者もあるのだと少し感心した様子。
ともあれこうして迎えに来てもらい、りんは桜に感謝せずにいられない。
夢のような時を過ごし、どうしてそんなことをしてもらえたかと考えた。

「なんでりんに桜の舞を見せてくれたのかなぁ・・?」
「わからんのか。」
「殺生丸さま、知ってるの!?」
「・・・早く見たいと言ったのだろう。」
「すごーい!どうしてわかるの?殺生丸さま。」
「見る者が来ないこんな森だ、見せたかったのだろう。」
「でもさっき帰るときは咲いてなかったよ?」
「老木は今年一杯の命。周囲の桜がその老木を喜ばせたかったのかもしれんな。」
「そんな・・もしかしたらあの真ん中の・・殺生丸さま!」
「なんだ。」
「今年が最期なら見てあげたい。だめですか・・?」
「・・・・まだ冷える。花が咲くまでもう少しかかるだろう。」
「殺生丸さまならその日がわかる?」
「・・・その日にここへ来ればよかろう。」
「殺生丸さま!」

りんという人の娘は妖怪の首に巻きつくようにして両腕で抱きしめ、
何度も礼を繰り返した。桜色に染まる頬を見ながら妖怪は黙ったまま。

「殺生丸さま、ありがとう。」

あまりに繰り返す言葉が鬱陶しいのか、ほんの少し柳眉を顰める。

「もういい。黙れ・・」

頬よりもさらに紅い唇に妖怪のそれを合わせ、言葉ごと飲み込む。
りんも慣れたように目蓋を閉じると、小さな身を任せた。
森を出る手前でしんと静まり返ったそこに妖怪と娘が佇む。

桜の精霊が幻の花びらを散らし、彼らを隠そうとするようだった。
花見を約束した二人への礼であったのか、それとも・・・
長いこと合わせたままの唇と小さな手の縋るさまが見ているのも恥ずかしく、
身の置き所なしと思わせたのかもしれなかった。
桜たちの気遣いを他所に、りんと殺生丸はようやく口付けを解く頃
森の入り口の方から従者の呼び声が聞こえた。

「殺生丸さまーーー!りーーん!!わしを忘れないでくださいよーー!!」

「邪見さまも来てくれたよ、殺生丸さま。」
「・・気のきかん・・」
「あ、桜の花・・?」
「まだ咲いては・・」

「見せてくれたのかな?」
「そうかもしれんな。」
「殺生丸さまが優しいから。」
「私にではないだろう。花に興味などない。」
「じゃあ・・りんのためかな?」

その質問は小さな声で囁かれ、殺生丸はりんを見つめて答えにした。
するとまた桜色になる頬には笑顔が浮かび、心なしか妖怪も微笑んで見えた。

「あっ殺生丸さま!りん!見つかりましたか!?」

せっかくのお出迎えに主は冷たい視線。りんはごめんねと謝った。

「それでりんは桜の精に呼ばれて宴会してたというのか?」
「そうなの。とっても素敵だったよ。花が咲いたらまた行くの。」
「へ!?殺生丸さまは明日発つと言っておられんかったか?!」
「・・予定が変わった。」
「左様で。お前がわがまま言ったんじゃないのか、りん。」

哀れにも邪見は主に踏みつけられ、始めの土下座に逆戻り。
りんは一生懸命慰めながらも、幸せを隠し切れない顔をしていた。

”きっと皆で見るお花は今日見たよりもっと綺麗。”

りんは殺生丸に向かって微笑むと、「楽しみだね。」と呟く。
それを見つめながら妖怪は思う、桜花はりんのためにあればよいと。
美しさも艶やかさもこの娘を喜ばせられるならば、価値があろうと。
精霊たちもりんの見たいという心に引かれて呼んだのであろうから。
そしてその気持ちはわからなくもない、見て欲しい、喜んで欲しい気持ちが。
誰でもない殺生丸自身がりんの笑顔を見たくあり、喜ばせたかったから。
春はもうすぐ。花の舞にりんは美しい笑顔を咲かせ、妖怪の心を染め上げる。