トロイメライ〜小さな約束〜6



久しぶりに見る炎山の顔は大人びたように感じられ、やいとは途惑った。
そういえばこのところこんな風に間近で顔を見ることなどなかった。
その上真直ぐに自分へと注がれる視線に平静さを装うことすら難しい。
沈黙が気まずいのにやいとはなんと口火を切っていいのか悩んだ。

「・・話難そうだな・・俺の用件から伝えてもいいか?」
「えっ・・?!・・え、えぇいいわよ・・」

救われた思いでこっそり息を吐いていると目の前に小型機器が差し出された。
化粧品のコンパクトのようなサイズで、白くて飾り気のない作りのものだ。

「これ、なぁに?見たことない・・」
「ウチの会社の試作の一つなんだが・・まだ開発中だから飾りもなにもないんだ。」
「あなたの会社のってことはこれ何かの端末?PETの新商品ってわけ?」
「まだわからん。ただこれは使えるなと思って持って来た。」
「どう使うのよ?」
「お互いの居場所がわかるし、連絡がダイレクトにできる。」
「!?・・お互いって、あなたと・・私のこと・・?」
「そうだ。よくトラブルに巻き込まれるおまえに前から持たせたいと思ってたんだ。」
「どういう・・!?って何よ、つまりこれあなたといつでもコンタクトできるってこと?」
「専用だ。メールも電話もできる。」
「専用・・・どうしてよ?私そこまであなたに心配されるようなことしてないわ。」
「今は隠れて泣いたりとかはしてないって?」
「なっ!?・・し、失礼ね!誰が隠れて泣いたりとか・・・・」
「してない?」
「・・・まるで私が泣いてたこと知ってるみたいに言うのね?」
「気のせいなら謝る。」
「・・私・・寂しいときは・・これが・・あるからいいの。」

やいとはずっと持ち歩いていた大切な時計を思い切って目の前に示した。
心臓は張り裂けそうなほど叫んでいたが、勇気を出して彼の反応を見守った。
炎山は示された小さな懐中時計を見ても何の反応も起さず顔色一つ変えない。
それを見てやいとは少なからず衝撃を受けた。やはり思い違いであったのかと。

「・・・つまり今でも一人で泣いてることがあるんだろう?」
「!?」

泣きそうになって顔を伏せたやいとに掛けられた言葉に驚き、再び顔を上げた。
炎山は冷静な瞳のままじっとやいとの方を先ほどと変らない表情で見つめていた。

「それは返す必要はない。持っていてくれただけでありがたい。」
「そっ・・・・やっぱり・・・炎山・・・あなた・・だったのね!?」
「貸すとは言ったが返してもらおうとは思っていなかった。忘れているならそれでもいいと。」
「ごっごめんなさい!私・・・忘れていて・・・でも逢いたくて・・これ・・返さなくていいの?」

堪えきれずにやいとの瞳からは涙が溢れ出た。ぽとぽとと落ちるのも構わずやいとは続けた。

「返せない・・・だってこれは・・やっぱり・・・辛いときの”おまもり”なの。」
「もう必要ないと突き返されなくて済んで良かった。一応憂慮したんだがな。」

炎山はあまりにも冷静で淡々としているのでやいとには現実として迫ってこない。
すっと指し示されたのは先ほどの器械ではなく、ハンカチだったのでちょっと驚いた。
それは自分が子供のように涙を零しているためだとようやく気付いて顔を赤らめた。

「やっやだっ!?私・・泣いてたの?」
「このままじゃ俺が悪者だな。」

ホテルの利用客たちに気付いている者などないようだが、炎山が苦笑するのでやいともくすりとした。
ハンカチは手渡されてしまったので、やいとは躊躇したものの借りることにして涙を拭った。

「・・どうして今でも泣いてるって思ったの・・?」
「・・残念ながら明確な答えが在ったわけじゃない。ただ・・そんな気がしたってとこだ。」
「そんなのあなたらしくないわね?・・・でも・・間違ってもいなかったわ。」
「随分素直だな。あんまり素直で予想外だ。」
「そうね。自分でもそう思う。なんでかしら?なんだかほっとして力が抜けて・・・」
「・・・そういうことか。それならこれからはいつでも呼んでいいから。」
「・・・ちょっと待って。なんだかそれって・・・変じゃない?」
「変?」
「だっ、だって・・・なんだかこれじゃあ・・恋人同士が再会したみたいでしょ?」
「・・・そうだな。お互いにそんな関係でもなんでもない。」

こともなげに”関係ない”と言う炎山だが、やいとには彼の気持ちがわからなかった。
そんな関係でもない自分のことをいつも心配してくれる炎山は自分をどう思っているのだろう。
やいとは懐かしさと嬉しさで一杯になった胸の奥のほうで感じる痛みに対して問いかけてみた。
”昔の優しい思い出の人が炎山で嬉しい・・なのにどうしてこんなに苦しいと感じるの?”
”優しいから私のことを気にかけてくれてるんでしょう?・・・それなのに・・辛い・・”

さっきまで嬉しそうに涙を零していたやいとが急に顔を曇らせていることに炎山は気付いた。
辛そうに眉を寄せる様子に何か彼女を傷付けるような行動を取ったかと心配にもなった。
頭の良い彼であっても、女の子の気持ちまではこれまでも、そして今も解明するには至っていない。
寧ろこれまでそっち方面はまるきり除外してきたので、自信家の彼にとっても不得意の分野だった。

「ありがとう、炎山。また逢えて嬉しかったわ・・・でもこれは・・要らない!」

やいとは思いつめた表情で連絡のとれる器械を炎山の方へ押し戻すと、逃げ去るように席を立った。
驚いた炎山は引きとめようとしたが、間が悪く緊急連絡が入り、一旦引き止められてしまった。
手短に返事をすると、やいとが立ち去った方へと向かう。丁度あのときのエレベータ前で見つけた。
扉が開くのを待ちかねたように飛び乗った彼女になんとか追いつくと、締まりかけた扉をこじ開けた。
ぎりぎり間に合って炎山が同じエレベータに乗った途端扉が閉ざされ、あのときのようにふたりきりだ。
やいとは隅の方で身の隠し場所もなく、追い詰められた兎のように小柄な身を更に小さくしていた。
炎山は彼女を怯えさせるつもりは決してなかった。しかし気になる行動を取った彼女に詰め寄る。
背の高い彼に隅へ追い詰められたような格好になって、やいとはまた涙が出そうになって唇をかみ締めた。

「何で逃げる?俺が何か失言したなら教えてくれ。」
「ちっ違う・・お願い、今は一人にして。私、変なの、すごく嬉しかったのに・・・急に辛くなって・・」

やいとがどうしてそんな風に辛くなって泣くのかが炎山には理解できなかった。
しかし、一人にしろと言われて放っておけるほど、彼は今の状況が生易しいとは感じられない。
こうしている間にもエレベータはどこかの階で止まり、誰かが乗り込んでくるかもしれない。
どうしても理由を問いただしたい彼は怯えるようなやいとの腕を掴んで近くの階で降りようと考えた。

「い、いやっ!離して。」
「このまま帰せるか!降りるぞ?」
「いや!炎山構わないで!!私あなたに慰めてもらいたくない!」

やいとから飛び出した言葉に炎山は驚いた。彼女は今の自分を嫌っているのだろうかと思った。
これまでは嫌われているなどと思ったことはなかった。いつも怒ったような口を利いてはいても。
彼にとっては初めての衝撃だった。思わず掴んでいた腕を解いて彼女から少し距離を置いた。

「・・悪かった。そんなに・・困らせるつもりはなかった。」

炎山は仕方なくこの場は引き下がろうと思い、止まった階で自分だけが降りようと決めた。
やいとがこんなにも動揺し、辛そうにしているのを見るのは彼にとっても苦しいことだった。
しかし、エレベータは押したボタンの階にはたどり着かなかった。突然に停止したのである。

「きゃあっ!!」
「まさか・・?」

いきなり襲ってきた暗闇にやいとが昔のあのときのように炎山に縋りついた。
炎山は当時と違って焦りはなかったが、再びの偶然に驚きを抑え切れなかった。
エレベータはトラブルで停止した。まるであのときのように。落ち着くとふたりは呆然とした。

「・・また止まってるのね?」
「驚きだな。」
「私嫌よ、階段を昇るのは!」
「俺もそれは遠慮したいな。」

あまりの出来事にやいとが普段に戻っているようで炎山はそのことにほっとして事故に感謝した。
縋りついたままの腕は昔のように「そろそろいいだろう?」と離すような真似はしなかった。
やいとはようやく気付いてそうっと自分の手を引っ込めると小さく「ごめんなさい・・」と呟いた。
決まりの悪そうな表情が暗がりの中でもわかる。きっと顔を赤くしているんだろうと思うと可笑しかった。
そしてこの天の配剤と思える偶然に勇気付けられた。今なら素直に打ち明けてくれるかもしれないと。

「怖かったら、掴まっていても構わないが?」と彼は言ってみた。
「だっ大丈夫よ。もう・・びっくりしただけだもの。」
「あのときと同じこと言ってるな。」と炎山は懐かしそうにやいとに告げる。
「なっなによ・・私・・・私そんなに炎山から見て頼りない・・?」
「いや?そんな風には思ってない。」
「じゃあ・・・どうしていつもいつも私を助けようとしてくれるの?」

炎山の期待に応えるように暗闇でお互いの顔がよく窺えないことがやいとを素直にさせていた。
ぽつりぽつりとやいとは炎山にまだよくわからない自分の中にある答えを手繰り寄せようとしている。
今が時間制限付きでないことにほっとしながら、炎山はやいとの気持ちを理解しようと心を鎮めた。

「助けるというか・・・放って置けないっていうかな?」
「そんな風に・・困った子供を助けるようにされても・・素直に嬉しいって思えない・・」
「おまえだから、と言っても?」
「・・・・私、だから?」
「俺はヒーローじゃない。誰も彼も助けたいとは思わない。」
「私が・・手のかかる子供だからじゃないのね?」
「なんだ、子供扱いされたと思ったのか?・・そうじゃない。」
「・・どうしてかしら?炎山があのときの人で良かったって思ったのに・・」
「そうか、それを聞いて安心した。約束は・・覚えてるか?」
「約束?・・また逢いましょうねって?」
「そう。それともう一つ・・あのとき俺はファーストキスを奪われたんだが?」
「!!??ふぁ・・・う、ウソッ!!あっ!?そっそんなこと私・・!?」
「忘れたのか?ショックだな。俺は覚えてたのに。」
「わっ忘れてっ!!だってあんなの!子供のときじゃない!!意味も知らなかったのよっ!」
「じゃあ、もう一度約束するか?」
「・・・・・・えっ・・・・!?」









第7話へ続きますv^^