トロイメライ〜小さな約束〜5



そのメロディは大切な過ぎた日の思い出、そして慰めだった。
それがどうだろう、甘い懐かしさは掻き消され、心を惑わせる。
あの少年の顔をどうして忘れてしまったんだろうとやいとは悩んだ。
今その顔を思い出そうとしても一人の人物の顔に摩り替わってしまう。

「まさか・・でも・・もしかしたら・・」

一人で悶々としていても答えが出る訳ではない。かといって確かめるには・・
やいとにとって躊躇う理由が多過ぎた。彼は容易く逢えないということと、
たとえ逢えたとしても思い出の人でなかった場合の失望が怖かった。
そして真実であった場合もまた、違ったときよりも彼の反応が怖いのだ。
覚えているかどうか、そして覚えていたとして私はどうしたいのか?と悩んだ。
苦しくて何をする気も起きない。ナビのグライドに予定をキャンセルしてもらおうと
PETに手を伸ばそうとしたとき、ふと思いついて尋ねてみた。

「グライド、あなたが来てくれたのは、この時計を貰った後だったわね?」
「は、はい・・直後です。ですからよくお話は聞かせていただきました。」
「そうよね。あなたも伊集院のことは『口止め』されていたのだったわね、当時。」
「はい。炎山さまの情報はプログラムされたときに除外されておりました。」
「・・・その後いくらか監視が弛んだわよね。あなたも彼のこと知らされたでしょう?」
「・・はい・・・」
「まだ何か私に隠していることがあるんじゃないの?」
「やいと様・・いいえ、隠し事なぞいたしておりません。」
「じゃあ、炎山が昔私の逢ったあの人だと思ったことはない?」
「い、いいえ。残念ながら・・それを確かめることもいたしておりません。」
「・・・・調べようとしたってことなのかしら、それとも・・?」
「私にはお調べできませんでした。誓ってやいと様に隠したりはいたしません!」
「責めてるんじゃないのよ。ごめんなさい、グライド。私のカン違いかもしれないし・・」
「・・・けれどお嬢様が何故ホテルであのとき驚かれたのかはわかりました。」

やいとは諦めかけて、伏せた顔を再びナビに向けた。
しかしナビはとても申し訳なさそうに、確かめることができないと告白した。
やいともそれはわかっていた。彼はいつ処分(デリート)されるかわからない身だ。
たとえやいとの専用だからといっても勝手をすればそんな可能性も無いとは言えない。
単なるプログラムであっても、やいとはグライドを本当の執事のように思っている。
自分の勝手で消去されてしまうような事態になっては、彼女自身も悔やみきれない。

”やっぱり確かめるには・・・私自身が・・・直接逢う以外にないんだわ・・・”

やいとはそう思いはしたものの、すぐに行動に移すことはしなかった。
自分がどうしたいのか、そしてそれは何故なのかという問題に確信を得られなかったからだ。
箱入りの彼女はこの歳まで恋もしたことがなかった。自分が囚われる感情の名にも気付いていない。
彼のことが何故か気になる、ただそれだけを疑問に抱いてきたのだった。


忙しい仕事の合間に炎山はやいとのことを思い出していた。
あの曲が昔のことを思い出させてくれた。そして彼女も気付いたのかもしれない。
しかしそのことを彼女がどれほど重要と捉えるかは本人にしかわからない。
昔ほど寂しさを感じていないにしても、他に誰か慰める相手が存在するのかもしれない。
焦る訳ではないが、のんびりしたお嬢さんが他の誰かに心を移す前に行動したい。
新たに出来た目的のために、予定をあれこれと書き換えなければならないなと思った。
ナビのブルースに私的なことを任せていたが、このことは任せるわけにはいかない。
下手な探りを入れて犯罪者扱いにされてもいけないしな、と彼は思い悩んだ。

”仕方ない・・・時間を空けて直接逢いに行くしかないか。”

彼は決断すれば後は早い。生活が忙しくなることに不満などない、寧ろ張り合いと感じる。
何しろ長年気になっていたことに答えが出たのだ。とてもすっきりとした気分だった。
ずっとあの子が気になっていた。それほど重要だと考えなかったから今まで放置していたのだ。
しかし昔と今では事情が違う。うかうかしていたら取り替えしがつかないことになる。
彼の思い描く未来はそうのんびりしたものではない。早く気付けて良かったと思った。
ホテルでのすれ違いの翌日、彼はやいとにメールを送った。

「やいと様!炎山様からメールが届きました!!」
グライドが慌ててやいとの元へ知らせたのは朝一番だ。彼女はまだ寝室で身支度中であった。
驚いたやいとはうっかり持っていたヘアブラシを足元に落として痛い思いをした。

『○月○日 3:00pm Wホテルロビーで待つ』

やいとはその文面にぽかんと口を開けて固まった。ナビのグライドが心配そうに顔を窺う。
「ちょっ・・・何よこれ。果たし状!?訳がわかんない!!」
「おそらく、待ち合わせしたいと云う意味かと・・デートの申し込みでは?」
「こんなデートの申し込みに応じる女がどこにいるのよっ!?」
やいとは怒ったようにそう叫んだが、内心では”どうしよう”と動揺で満たされていた。
”い、いきなりなんなのよ、アイツ・・!あのことを聞けるチャンス・・なんだけど・・”
”ううん、いきなりそんなこと聞かなくても・・・大体なんの用で呼び出したのかしら!?”
”そうだわ、何着て行けば!?いえ別にいつものでいいのよね・・?ああどうしよう・・!”

グライドの言った『デート』の言葉のせいで彼女はすっかり動揺し、途惑った。
”そんな訳ないわ。それにあんなのデートの申し込みだなんてとんでもないわよ、在り得ない!”
心で打ち消すものの、すっかり行く気でいることに自分では気が付いていないようだった。

”そんなことより、この時計・・・持って行って見せたら・・・わかるかしら?”

やいとはそれから日に何度も懐から時計を取り出して見つめた。
約束の日はすぐだ。昔の話をするかどうか、それだけでも頭が一杯になり思い悩んだ。
悩みすぎて身体がおかしくなりそうだった。家の者たちにも心配されたが何も言わず隠した。
”いっそもうそんな日は来ないでちょうだい”とまで思いつめた頃、当日がやってきた。
結局納得のいく結論には何一つ至らなかった。彼女は混乱したまま浮かない顔で待った。
待ち合わせの2時間も前に着いたホテルで『いちご牛乳』を飲んでみたがあまり効果はなかった。
そう、そこは昔彼女と炎山がエレベータに閉じ込められたホテルだったのだ。
しばらくここに来てなかったな、と少し落ち着きを取り戻したやいとはぼんやり高い天井を仰いだ。

「天井に何かあるのか?」
「!!?っえっえん・・・」
椅子に腰掛けて上を見上げていたやいとにいきなり顔と声が降ってきた。
驚いて椅子から転げ落ちかけた。しっかりと腕を捕まれて転ぶことは免れた。

「早いな。待ち合わせまでまだ30分はあるぞ?」
「あ、ああありがとう。転ばなくて済んだわ。そ、その予定が空いて早めに着いたのよ!」
「へぇ・・待たせてすまなかったな。」
「い、いいわよ。それより何なの?いきなり呼び出したりして・・」
「席が取ってある。あっちだ。」
「へ!?ちょ、ちょっと待ちなさいよ。んもう・・相変わらずねぇ!」

炎山は普段と変らない格好だった。自分も結局そうなってしまったのだが。
さっさとやいとを放って行くあたり彼らしいのだが、後ろでやいとは思った。
”何が『デート』かもなのよ、グライド!この態度からしてぜーーーったいに違うわ!”
気合の入ったおしゃれをして来なくて良かったとやいとはこっそりと胸を撫で下ろした。

海中から地上に向けて建っているホテルの地下ラウンジは深海とまではいかないが海の底にある。
落ち着いた装飾でところどころボックスになった席は話をするにも都合良く出来ている。
そういえば、ここで仕事の取引先と逢っていた炎山を目撃したのが始まりだった。
やいとはそれを見つけてこっそり隠れて彼の様子を見たことも思い出し、少し恥ずかしかった。
”私ったら、あのとき見つかったんだっけ。エレベータで”おでこが目立つ”って言われて・・”

「・・・あのときのことを思い出してるんだろ?」
「えっ・・!?えぇ・・まぁね。久しぶりなのよ、ここ。」
「そうだな。俺も2ヶ月ぶりだな。」
「よく覚えてるのね。」
「記憶力は悪くない。」
「口は悪いけどね。思い出したわ、あなたが昔私のことよく”デコすけ”って言ったこと。」
「覚えやすくていいだろ?」
「言われた方の気持ちを考えてみなさいよ!私は傷ついたのよ!?」
「そりゃ悪かった。苦情はそれくらいか?」
「そっそういえば、何の用だったの?いきなり・・」
「何か聞きたいことがあるんじゃないかと思ってね。」
「え・・!?」

そこへウェイターが注文を取りにやって来て話は中断した。
適当に注文を済ませたが、やいとはせっかく取り戻した落ち着きを再び手離してしまった。
”どうしてそれを知ってるの?””やっぱり炎山があの昔の・・・?”
やいとは伏せていた顔を恐る恐る上げて目の前の人を見た。まっすぐに視線が飛び込んで胸が鳴る。
”聞いていいのかしら?・・・それとも・・・”
やいとは緊張して両手を握り締めた。炎山は対照的に落ち着いて見えるのが悔しい。
話を切り出すきっかけが欲しくてやいとは縋るように炎山を見た。









第6話へ続きますv^^