トロイメライ〜小さな約束〜3



宝箱に仕舞われた懐中時計は今も私の枕元にある。
寂しいときにはいつも私を優しく慰めてくれる大切な時計。
もうぼんやりとしか覚えていない面影と鮮明に覚えている約束。
ホントウは確かめるのが怖いの。もしかしたらあなたなの?と。
仕舞いこんだのは臆病な私の心。だって私もあなたもあの頃とは違う。
素直だった頃の自分がとても懐かしい。もう戻れないから?



私は”その子”の名前を聞くのを忘れてしまった。
あの夜別れた後ベッドに戻った私はそのことをとても後悔した。
懐中時計をそっと開けて耳元に置いて眠りについた。
翌朝熱も下がった私はメイドに見られないようにそれを隠した。
どこかへ片付けられたり、返すようにと言われることをおそれて。
結局夜会は欠席になったけれど、また会えると信じていた。
自宅へ戻ると当時綾小路の屋敷内を切り盛りしていたメイド頭が言った。


「あのお屋敷で男の子にお会いになったそうですね。」
「えっ・・それがどうしたの?」
「お名前をお聞きになられましたか?」
「ううん・・ききそびれたの・・」
「それはようございました。もうその子のことはお忘れなさいませ。」
「!?あのときもそう言われたわ。どうして?!」
「簡単に申し上げますと、この綾小路とは相容れない方ですから。」
「だからそれどういうことよ!?意味がわからないわ!」
「私にはどうにもできません。古くからの決まり事ですから。」
「そんなのアタシには関係ないじゃない!!」

説明はいつも同じこと。そして『忘れなさい』とそれだけ。
良く知らない若いメイド達が同情の目を向けるのもたまらなかった。
情けないことに寂しさを紛らわせてくれるメロディは記憶に刻まれても
日が経つにつれあの子の顔はぼやけていくことが悲しくてならなかった。

誰にも言えない思い出になって宝箱に仕舞われたまま数年の月日が過ぎた。
『伊集院』の名を耳にしたのはアメロッパの全寮制の女学院に入れられた頃。
クラスで話題に上ったのだ。私は飛び級したので皆より3つ程歳下だった。

「まだ幼いけれどとても優秀で、既に大人並のお勉強もされていて・・」
「お仕事も少しずつお手伝いされて、その能力の高さに皆感歎され・・」
「そんなことより、その容姿の素晴しさといったらまるで”プリンス”」

そんな話題に花が咲いたことをナビのグライドに何の気もなく尋ねた。
「なんなの、『伊集院炎山』って。何者なのよ?」
「学校でお耳にされたのですか・・それは仕方がございませんね。」
「家柄も悪くないらしいけどパーティでも見かけないわよね?」
「『伊集院』家は『綾小路』家とは深い因縁がございまして・・」
「え、何ソレ?!」

そのとき互いの家同士がいがみあって長いことなどを多少詳しく知った。
私はどこかで聞いた話だと思いながらも「ふーん・・」とだけ言った。
それまで会う機会はなかった。意図的にそうさせられていたのかもしれない。
何故かその事を思い出のあの子に結び付けて考えたりはしなかった。
初めて姿を見たときも、”あれ・・?どこかで・・!?”と思いはしたが、
私を見つめる視線はあの時のような優しさなどなく、すぐに思い違いだと判断した。
あれは確か父の代わりに何かの催しに参加したときだった。

「あぁ、あの三流会社のね・・」

確か第一声はそんなだったと思う。そしてむっとした。

「どこかでお会いしたかと思ったけど、気のせいねっ!」

私の第一声もそんな感じだ。とにかく「炎山」と出会ってから禄な印象はない。
だから、私が胸をざわめかせるようになったのはもっとずっと後のことだ。
互いに大切に仕舞い込み過ぎて、生々しい現実に蓋をされていたのだろうか。
たまに逢えばいつも上から目線で失礼な言い方をする彼が大嫌いだった。
ごくわずか、年に数回しか逢うこともないのが幸いだとすら思っていた。
・・・・あの事件が起こるまでは。
あのとき、エレベータに閉じ込められた私を助けてくれたのは炎山だった。
今までの印象が消え去ったわけではなかったけれど、確かに私は彼を見直した。
けれどその後もお互いに顔を見れば相変わらずの憎まれ口をきいてばかり。
関わる時間が極端に少ないこともあってそれ以上の関係になどなり得なかった。
私の胸にあの日の思い出を呼び起こした事件はとあるホテルで起こった。


ロビーで迎えの車を待っているとき、唐突に近くで「トロイメライ」が流れた。
はっとして見回すと、父親らしき人物から綺麗な小箱を贈られた幼い子供の姿。
3つくらいの年頃の女の子が嬉しそうに「ありがとう!パパ!」とはしゃいでいた。

「どうなさったのですか?やいと様。」
「・・なんでもないわ、グライド。あの曲が聴こえたから」
「あぁ・・『トロイメライ』でございますね。」
「・・あの子誕生日か何かかしら?カワイイわね、グライド。」
「そうですね、それにあの曲・・思い出してしまいますね。」
「そうね、だからつい振り向いてしまったわ・・・」


「あの曲に思い出があるのか?」
「!?」

私は驚いて椅子から飛び上がった。あの伊集院炎山の声だった。
傍に居た秘書の一人がチェックインのために通り過ぎた。ホテルに泊まるらしい。

「なっ何よいきなり!?・・アンタに関係ないでしょ!?」

突然の出会いに慌てる私を少し見つめた後、もう一人の秘書と彼は通り過ぎていった。
呆然としてそれを見送る私の脳裏にそのとき”あの子”の面影がぼんやりと浮かんだ。

「・・・まさか・・そんなこと・・」
「どうなさったのですか、やいと様。伊集院様が通られたようですが・・?」
「なんでもないわ。・・・いいえ、思い違いよ、きっと・・」

ナビは気遣ったけれどなんでもない振りをしてそのときは黙っていた。
昔『逢ってはいけない』と言われたのは・・・そうよ、そう言われたわ。
考えてみれば、当てはまることばかりで、私は胸がざわめき出した。
もしかしたらと思う一方で、”まさか、全然違うわ。あの子はとても優しかった。”
そんな風に頭が否定するのだ。拒否、と言ってもいいかもしれない。
けれど、伊集院炎山その人にも、あの曲に何かあるのだ。だから尋ねたに違いない。
迎えの車が到着して家路を辿る間も、部屋に戻ってもずっとそのことが頭から離れなかった。
メロディが心の中に流れるのに、あの子の顔を思い出せないもどかしさに唇をかみ締めた。









第三話お待たせしました;次回は炎山サイドです。