トロイメライ〜小さな約束〜11



やいとはほんの少しの間離れていただけなのに随分昔のように思えた。
そんなに頻繁に会ったりなど、してはいなかったというのに。
劣等感や恥ずかしさなどから”会いたくない”とついこの間まで言っていた。
どんどんと変化していく自分の現状に驚かされるその一方で、
今まで味わったことのない高揚感を覚える。そして何よりも違うことは
”嫌い”だと呪文のように唱えていた自分に押し寄せる”好き”という気持ち。
そして素直にそれを認めてしまえば、思いのほか色んなことに気付かされる。
どんなに幼い子供だったか、どんな風になりたいのか、そのためにどうすべきかなど。
やいとは離れている間を幸いにこれまでとは違う色々なことを考えた。


「待ち合わせ場所ってここで本当に間違いない?グライド。」
「はい・・そのはずなんですが。やいとさま大丈夫でございますか?」
「・・怖いわ。なんて変な建物なの、IPCって何考えてんだか!?」
「心理学で言うところの『つり橋効果』を狙ったとか?」
「まさか、あの自信家がそんな姑息なこと。単に趣味なのよ。」
「炎山さまに対しては相変わらず辛口ですね、やいとさま。」
「好きだと気付いたからって今までの認識が変わったわけじゃないわ。」
「そうですか。でもなんだか安心しました。」
「私のこと心配してたの?それって炎山とのこと?」
「はい、色々と悩んでおられたご様子でしたから・・」
「うん・・なんだかあれこれと悩んだけど結局私は私だって開き直ったのよ。」
「お元気なやいとさまが戻ったようでとても嬉しく思います。」
「ありがとう、グライド。私って皆からとても大事にされていたのね。」
「やいとさま・・なんだか大人になられたみたいで感動です。」
「やーね、そうでもないわよ。けど・・ちょっとだけ、そうだと思うわ。」
「とても嬉しいです。・・・それにしても炎山さま、遅いですね?」
「まったくレディを待たせるとか、冗談じゃないわよね!場所も最悪。」
「はぁ・・周囲が前面透明で・・まるで宙に浮いてるみたいですねぇ?」
「がらんどうじゃない。何が完成間際よ、ハッタリなんじゃないの?」

「・・率直な意見に感謝する。元気そうで安心した。」
「えっ炎山!?いきなりどこから出てくるのよ!」
「何って見ての通り、エレベータだが?」
「透明で扉も無いじゃない!この建物もあちこち透明で怖すぎるわよ!」
「そうか?死角がなくていいかと思ったんだが。」
「何よ、あなたも元気そうじゃない。」
「あぁ、最近は健康管理に気を配ってる。」
「・・中年親父みたいなこと言わないでよ。」

炎山から呼び出され、やいとがやってきたのは伊集院の新しい社屋の一つだった。
開発作品の展示などが主目的らしく、近代的な造りやデザインの建物だ。
その最上階らしいフロアはガランとしていて、透明な足元が下階を覗かせている。
どちらかというと高い所の苦手なやいとは落ち着かなく、一人きりでは心細かった。

「ねぇ炎山・・ここじゃなくてもっと他に無かったの?」
「今ここは誰も立ち入れないから都合がいいかと思ったんだが。」
「あなたの教えてくれたパスワードで入れたけど・・誰もいないし。」
「高い所は落ち着く。どうもおまえはそうじゃないみたいだな。」
「やっぱり・・そんなことだろうと思ったわ・・何せピーターパンですもの。」
「懐かしいな、あの夜の台詞だ。」
「そうよ、あなた子供のとき木を伝ってあんな高い窓からやってきたのよね。」
「驚いていたな、そういえば。」
「言っておくわ、私は嫌いなのよ、高い所!」
「それは失礼した。今日は許してくれないか?それに怖ければどうぞ。」
「どうぞって・・腕を貸してくださるってわけ?」
「そうですよ、遠慮なくどうぞ、レディ。」
「気障というか・・どうもそこんところは好きになれないわ。」
「いいんじゃないか、それはそれで。」
「そうかしら?」
「何もかも気に入る必要はないんじゃないか?」
「・・ふぅん・・そこは意見が一致したわね。」
「知らないこともまだこれから見つかるだろうしな。」
「そうね。なんだか今日はいつもより機嫌がいいわね?」
「おまえに会えたからかな。」
「またそういう・・」
「正直だろ?ところでゆっくりしたいところなんだが・・」
「もう、今来たばかりじゃないの、仕事なの?」
「いきなりで申し訳ないんだが・・」
「なぁに?」
「もう一度結婚の申し込みがしたい。」
「は・・・え・・?」
「返事は?」
「ちょっと待って、何それ!?いきなり過ぎでしょ!?」
「俺たちの場合はあまりのんびりしてると他に予約が入るだろ、お互いに。」
「それ、あなたのことでしょ?聞いたわよ、婚約のことなら。」
「あれは解消した、というか成立すらしていない。」
「そうなの?でもお父様が・・」
「父には報告した。承認はまだだが、取るから心配することはない。」
「はぁ・・ってちょっと!勝手に話を進めないで。私まだ・・」
「”ガブゴン”の会社はおまえが継げばいい。経営は今まで通りそちらに任せる。」
「そ、それって・・」
「婚姻は俺たち個人の問題だ。ビジネスとは別ってことさ。」
「それはまぁ・・って、どうしてそうさっさと話を持っていくのよ!」
「気が短いという責めなら受ける。俺は元から拙速でね。」
「まぁ・・あなたらしいと言えばそうだけど・・」
「それとこれは・・あまり言いたくなんだが・・」
「このさい聞いてあげるわ・・いいわよ覚悟したわ、どうぞ。」
「親父が死ぬまでに孫が見たいそうなんだ。」
「・・・・は?」
「孫が出来たら今後一切の権限は孫に譲って隠居したい、その条件なら許すってことで・・」
「それで話を急いだってこと?!」
「後押しされたというかな。」
「いつのまにそんな・・お父様もあなたもね、やっぱり似たもの同士よ!」
「そうだったみたいだな。」
「極端なのよ!もう・・仲直りできたのは・・良かったわね。」
「・・感謝する。おまえにこのことは心から。」
「少しでもあなたにお返しがしたかったから、それはいいのよ。」
「俺は何もしていない。」
「私も・・あなたが好きよ、炎山・・」
「素直だな・・意外というか・・急にどうしたんだ?」
「言わせてもらうけど、子供とかの責任は持てないわ、女は子供を産む道具じゃないのよ。」
「なるほど、正論だ。父にはそう伝えよう。」
「私が言うわ、直接お父様に。長生きすればいいだけのことですって。」
「それは・・傑作だ。俺も同席したいな。」
「それとこんな夢のないプロポーズじゃ合格点はあげられないから。」
「・・・じゃあやり直しのチャンスをくれ。」
「その前に私からも言わせてちょうだい。」
「聞こう。」
「私ね、あなたが好きだって気付いてからずっと考えてたの。どうしたいのかってこと。」
「結論は出たのか?」
「もう、ちゃんと聞きなさい!あのね、私ずっと自分をわかって欲しいって思うだけの子供だった。」
「だからこれからは心配されてばかりじゃなくて一人前にならなきゃって思ったの。」
「殊勝な意見だな。」
「真面目に聞いてったら。だからまだ結婚のお話はお受けできません。でもね・・」
「なんでも遠慮なく言ってくれ。」
「あなたがこれからもずっと私を見ていてくれるっていうなら・・もう一度約束したいわ。」
「子供の頃にしたみたいに?」
「ええ、もっと大人になったら・・あなたのお嫁さんになってあげる。」
「それじゃあそのときまでに合格点を取れるように俺も努力しておかないといけないな。」
「なによ、ちっとも疑ってないのね?愛想尽かされるとかだってあり得るのよ?!」
「俺は諦めない。だからおまえを俺だけのレディにする、必ずね。」
「ど気障!!・・今は私なんてただのわがまま娘かもしれないけど・・見てらっしゃい。」
「いくらでもいい女になってくれ。それは大歓迎だ。」
「んもう・・人が勇気を出して真面目に話してるのに。」
「俺はふざけてなんかいない。おまえに惚れ直してるところだ。」
「そ、そう・・あの、あんまり見つめないでくれる?それと言えた途端に怖くなってきたわ・・」

やいとは伝えたかったことを話せたことにほっとすると同時に恐怖が襲ってきた。
足元が透明なことで、立っていると眩暈すら起こしそうな気分で身体が竦んできたのだ。
だから目の前に差し出された腕に掴まるのはほとんどその恐怖を紛らわす意味でだった。
しかし炎山の腕に掴まった途端、やいとは小さな身体を抱き寄せられて、息を呑んだ。

「ちょっ・ちょっと炎山!いきなりなんだからいっつも!」
「俺も伝えたくなったんだ。・・俺はずっと思うままに生きるのが幸福だと思っていた。」
「・・・そうね、それは・・私もそうかも。」
「それは違うと気付いた。俺はいつだって幸福を手にすることができたんだ。」
「昔のことを言ってるの?それとも・・」
「今も昔もだ。泣いているおまえを慰めたとき俺は幸福だった、今こうして抱きしめているときも。」
「・・・そう・・なの?」
「いつだって心だけが自由だと思い込んでいたんだ。しかしそうじゃない。」
「おまえのためなら、ピーターパンにだってなれただろう?」
「あなたなら・・ど気障でも憎たらしくても・・そうね、いつだって自由だわ。」
「そうだ。自分で不自由だらけだと思い込んでいた。気付けたのはおまえのおかげだ。」
「そ、そんなの・・言いすぎじゃない?」
「大人しく感謝されとけ。これからも俺は自由でいられるし、そうするつもりだ。」
「そうしなさいよ、そのまんまで・・あなたなんだから。」
「おまえも好きなように生きればいい。ただし、俺の手の届く場所でだ。」
「好きにするわよ。でもあなたならどこへだって来るんじゃないの?逃げ場あるかしら?」
「結婚延期の報告を父に一緒にしに行かないか?」
「それは・・いいわね、一緒に何かするのは初めてかしら?」
「おやおや、この間二人で踊ったこともお忘れらしいな。」
「あら、そうね。それに、メイドたちから隠れて話をしたり、閉じ込められて梯子を昇ったり。」
「そう、結構二人だけの思い出はあるものだろ?」
「そうね・・・変なの、炎山ったら嬉しそう・・」

炎山がふっとその瞳を柔らかくして微笑んだ。釣られてやいとも微笑んでしまう。
微笑みはすぐに柔らかい口付けで遮られ、やいとはまた驚きのまま炎山の腕にしがみついた。

「・・・だからどうしてそう・・いきなりなのよ・・」
「怒った顔が見たいから。」
「んなっ・・イヤな人ね!」
「可愛いもんでね、怒った顔が。」
「ん〜〜もう!知らないっ!!」

やいとはたまりかねたように真っ赤に染まった顔を背けてそっぽ向いてしまった。
それを見て炎山が楽しそうに笑うのに気付くと、腕組みをして「フンっ!」と鼻を鳴らした。

「なによ、ちっとも変わってないみたい。あなたってば感じ悪いし。」
「それは昔っから俺に惚れていたってことか?」
「ち・が・い・ま・す!!」
「おまえもそういうところは変わらなくていいぞ。」
「あなたに言われてそうするなんて癪だわ!べーっだ!!」
「これからもヨロシク。可愛いレディ?」
「・・ど気障男。どうぞヨロシクねっ!」

そのとき、トロイメライのメロディが流れた。今度は二人ともが驚いて顔を見合す。
しかしそれは束の間で、炎山は思い出したように納得した表情を窺わせた。

「なぁに?この建物のどこかから聞こえてくる・・」
「ここはまだ未完成だから俺も驚いた。これはこの建物の時報なんだ。」
「時報?そんなの付けたの?!」
「便利なんでね。アラームじゃ無粋だし、結構社員は気に入ってくれてる。」
「そうなの・・『トロイメライ』はあなたの発案?」
「好きな曲なんでね。」
「私も好き。あ、そうだわ、懐中時計!預かったままの。」
「あれは持っていていいと言っただろ?」
「そうなんだけど・・これはお父様の思い出の品でもあったんでしょう?」
「らしいな。」
「お母様のこと・・聞いたの?」
「・・ああ。」
「それでもまだ持っていていいのね?」
「おまえに持っていて欲しい。」
「ありがとう・・大切にするわ、ずっと。」

やいとは持っていた時計を取り出すとそれをそっと胸に抱きしめるようにした。
炎山の父が送るはずだったやいとの母、そしてそれを譲り受けた炎山の母。
残された幼い自分を慰め、出会った少女の手元へと渡ったその思い出の時計。
そこには父や母、そして自分たちのそれぞれの思いが詰まっているのだった。
しばらくそっと時計を握るやいとを見つめていた炎山がぽつりと言った。


「その時計・・子供ができたら預けるか?」
「!?・・・・ホントにあなたって気が早いわね!」
「けど否定はしないんだな?」
「あ・そ、それはその・・まだわかんないでしょ、そんな先のことなんて。」
「そうだな。」
「なんなの、その目は!?」
「俺は何も・・さっき頷きかけたんじゃないか?」
「そっそんなこと・・か・勝手に思ってなさい。」
「あぁ、好きにするさ。」
「ホントにイヤになっちゃう・・まだプロポーズだって承諾してないわよ!?」
「そうだったな。・・今度は跪いて、手の甲に懇願するとしようか。」
「・・OKなら・・キス・・してあげればいいんでしょ?」
「いつがいいかな・・楽しみだな。」
「もっと先よ、もっともっと!」
「待てるかどうか・・俺は気の長い方じゃないし。」
「待てないからって浮気したら、承知しないわよ!」
「・・・自由だろ、そんなことは。」
「なっ!?イヤよ、それだけはダメ!炎山ったら、本気なの!?」
「おまえが承知してくれればいいんじゃないか?俺は今すぐ跪いてもいいんだが?」
「そっそんな!あなたね、人の話を・・」
「昔みたいに『約束』でいい。結婚はおまえの言う大人になってからで。」
「どうしてそう急ぐの?」
「いやおまえが困るのが面白いから・・」
「!!??イヤっ!キライっ!!あなたったら!あなたったら!!許さないんだから!」
「許してもらわなくても俺は構わない。」
「ああああ・・・さっきは昔の優しいあなたが戻ったみたいって思ってたのに!」
「どっちも俺だ。申し訳ないが、トロイメライが鳴ったから俺はタイムリミットだ。」
「えっ!?か、帰る気!?こ、怖いのよ、ここ。私を一人で置いてくつもりなの!?」
「か弱いレディにそんなことしませんよ。一緒に下りよう。」
「まったく・・ああでも良かった!ホントにこんなとこ冗談じゃないわ。」
「こんなところじゃ一緒に住めないか?」
「当たり前よ!ぜーったいイヤですからね!」
「どうやら新居一つとってももめそうだな・・」
「だから、まだ承知してないったら!」
「子供だけ先に・・って手も・・」
「離婚よ!もうあなたとなんかそんなことしたら。」
「結婚しないと離婚はできないぞ?」
「はあ・・なんだか疲れてどうでもよくなっちゃったわ・・・早く行きましょうよ・・」
「ハイハイ、レディのお気に召すままに。」


やいとは炎山の腕にもたれかかるようにしてその場を後にした。
思い出がこれからもどんどんと増えていく予感に胸をざわつかせながら。
そしてその思い出は炎山と二人一緒に作っていける、そんな甘い期待と共に。
時に寂しいときは支えてくれる皆や思い出の時計もきっと勇気をくれるだろう。
幼い頃の小さな約束は確かな絆になって大きな未来へと繋がっていく気がした。

やいとを支えて歩きながら、炎山は幸福そのものを抱きしめている感動を覚えた。
この少女が自分にとっては安らぎであったり、敬愛であったり、様々な幸福だ。
目蓋を閉じれば流れてくるトロイメライのようにずっと心に刻み付けたい。
幼かった自分、生意気だった自分、わかりあえるかもしれない眼を背けていた人々。
それらの思い出を全部包み込んで、自由に羽ばたいていけるだろうと思える。
そしてそれら総てを繋ぐ幸福の象徴である少女を見つめた。愛と敬意を込めて。

「なんなの?人の顔みてニヤニヤと・・」
「いや、それでも随分素直になったなと。」
「もう呆れてものも言えなくなったのよ。」
「そんなに嫌われるなんてな。」
「違うわよ、相変わらずのあなたといて幸せな自分に呆れたのよ・・」
「・・・それならもっと呆れていいぞ?」
「フンだ・・あなたなんて・・大好きよ!ばか。」

「少しばかり会議には遅刻すると伝えてくれ、ブルース。」
「はっ承知しました。炎山さま。」
「どうしたの、炎山、あなたお仕事は?」
「もう少し一緒にいたい。次のトロイメライが流れるまで。いいだろ?」
「それは・・・いい考えだわ、あなたにしては。」

透明な建物を出ると車を廻して、二人は例の海の見えるホテルを目指した。
仕事に遅れたら「エレベータの故障」ってことにしようと炎山が言うとまたやいとは呆れる。
次のトロイメライはいつ流れるの?と尋ねた答えに再び目を丸くしてやいとは微笑んだ。

「つまり、私と一緒にいたいって正直におっしゃいよ。」
「アラームは外しておくのが礼儀だろ、こういうときは。」
「じゃあ、私がずっと私といなさいって命令したらどうするの?」
「跪いて、キスしてもらうさ。」
「・・・・どうしようかな・・」

二人はしばらく互いの顔を見つめ、込みあがる笑いにお腹を抱えた後、
無人の車の中でもう一度口付けを交わした。車は滑るように停車する。

「やっぱりまだおあずけ、よ。」
「何度でもトライすることにしよう。」

やいとの提案で車を降りると二人はまだ随分遠い場所からホテルを目指すことにした。
そして腕を組んでゆっくりとした足取りで歩き出す。幼い頃出逢った二人が
広い庭でおしゃべりしたときのように、ただ二人でいることを楽しみながら。








長らくお待たせしました。ごめんなさい!><;終わりました。
長いことかかりましたが、読んでくださってありがとうございました。
関連したお話は書くかもしれませんが、一先ずはここで。(^^)