トロイメライ〜小さな約束〜10



『まぁ・・嬉しいわ、この時計トロイメライが流れるのね・・』
『ありがとう、あなた。ずっとずっと大切にするわ・・いつまでも』

たおやかな微笑みと青く澄んだ瞳に吸い込まれる。白く細い腕を伸ばし

『あなた・・炎山を・・お願いね・・?ごめんなさい・・・』

どうして息子はあれに似たのだろう。あの瞳は今なお私を射抜いたままだ。
執念を感じた。気丈な女だった。医者の言葉を覆し子供を産むと譲らなかった。

『死にません、私。産みますわ。』
『優しい子になるでしょう。あなたの子供ですもの。』

トロイメライは幼い頃の思い出の曲だった。私には子供の頃から好きな女がいた。
幼馴染だった妻はそのことも良く知っていた。そして私を励ましてくれていた。
結局私は周囲の反対に遭いその女とは結ばれず、結婚したのは妻とであった。
愛など無いと思っていた。しかしあれはずっと私を愛していたと言った。
結婚には反対意見もあった。妻の身体は昔から弱かったからだ。
私は失恋の痛手を妻に癒された。姉のように感じていたから結婚には躊躇したが。
それでも妻は私との縁談を受け入れ、子供も産んでみせると周囲を黙らせた。

「あなたが私でいいとおっしゃるなら、愛は要りません。跡継ぎを産む道具でも構わない。」

微笑んでそう言った。「だって私があなたを愛しているの。他の人には負けないわ。」
私は妻の想いが重く怖ろしかった。しかし今になってわかる。お前が強がっていたことを。
赦されるものならと思ったとき、妻は病に連れて行かれてしまった。想いを告げることなく。
生まれた子供は妻にそっくりだった。私は抱き上げてやることすらしなかった。
妻が亡くなるといよいよ息子の瞳が妻と同じく私を責めているかのように感じて遠ざけた。
私は仕事に没頭して息子のことを省みなかった。罰が与えられるのならそうされたいと望んだ。
あれになんと言われるかが怖ろしい。死ぬことなどそれに比べればなんと楽なことか。
どんな試練を与えても息子は妻のようにそれを淡々と受け入れた。泣いたり喚いたことなどない。

これが最後だ。そう思い縁談を押し付けた。息子がどうするかは実のところどうでも良い。
息子にしてやったことを増やしたかっただけだ。それについての文句はあの世で聞こうと。
どれも息子にとって面白くもないことばかりだっただろう。それでいいのだ、いっそ憎んで欲しい。
しかしお前に似た青い瞳は・・・結局私を・・・恨むことなどしないのだろう。
妻よ、死んだらお前に裁かれたい。そう願っている、そして・・・その日は近いはずだ。


「またお逢いできましたね。」

ぼんやりと病院の花壇の前に立っていると、先日出逢った少女が私を見つめていた。
小柄で額の広い賢そうな少女だ。長い髪が昔懐かしい女を思い出させる。
先回この同じ場所でその姿を見たとき、私を裁きにきた死神かと思った。
皮肉な姿をした死神だと思った。昔私が熱を上げた女にも、妻にも少し似ていた。
気丈な感じがそう思わせたのかもしれない。地獄へ連れ行かれはしなかったが。

「お逢いしたいと思ってあれから毎日ここに通ってたんです。」
「・・ほぅ・・」
「ご挨拶もなしに失礼しました。私は綾小路やいとと申します。」

「・・どおりで・・」
「?」
「炎山のことかね?」
「いいえ、違います。」

少女の名は意外ではない。よく知った名だ。それよりも縁談のことでないと言うのが不思議だった。
今息子が熱を上げている娘の名だと知っているからだ。昔の私があの女にそうだったように。

「違う?では何の用かね。」
「私、奥様の大切なものを預かっているんです。」
「・・・それで?」
「以前ここでお逢いしたときのお姿が気になっていました。奥様のことを考えていらっしゃったでしょう?」
「知った風に・・違うと言っても信じるかね?」
「違っていたとしても奥様のこともあったのではないですか?」
「このことは伊集院のものでも知らんことだ。どうやって調べた?」
「調べたんじゃなくて、そうじゃないかと思ったんです。」
「何故かね?」
「昔炎山からお母様・・あなたの奥様がとても寂しがっていたと聞いたんです。」
「あれはそんなことは言わん。」
「炎山はきっとあなたがお母様に逢われないことが『寂しい』と感じたんです。」
「・・・君に何がわかるというのかね?生意気なお嬢さん。」
「炎山とお母様のお話をされたらいかがでしょうか?」
「何のために。」
「奥様のためにですわ。」
「あれはもう死んだのだよ。どうしてそれが家内の喜ぶことかね。」
「好きな人と自分の息子が心配ないわけないじゃないですか。」
「・・・・」
「それぞれに奥様を思いやっていたとわかると思うんです。そしたら・・」
「どうしてそう思う?聞いてないのかね、私は息子にとっては煙たい父でしかないのだ。」
「いいえ、そんなはずないわ!」
「お嬢さんは何がしたい・・?」
「どちらも優しいからご自分を責めるばかりなのじゃないかって・・・思って・・」
「炎山はお嬢さんとは結婚させないと言ってるのにそれはどうでもよいのか?」
「結婚は・・炎山が決めることでしょう?私が・・口を出すことではありませんもの。」
「お嬢さんは今の会社を継ぐつもりかね。」
「・・・はい・・・そのつもりです。」
「炎山とは結婚前の慰めか、それとも遊びかね?」
「ばっ莫迦にしないで!・・・っご、ごめんなさい、違います。それに私たちそんなんじゃ・・・」
「もしやウチの息子は何も言えておらんのか・・・情け無いな。」
「えっ炎山のことを誤解されてませんか!?あっアイツ・・あの人は・・」
「あれは甘すぎる。・・・だから私のことを恨めないのだ。」
「だから、誤解です!そんなこと炎山は思ったりしないわ!」
「そうだな。だからどうすれば鍛えてやれるかそればかり考える。」
「・・・やっぱり。もう・・よく似ていらっしゃるじゃない!?」
「似とらんよ。あれは妻似だ。」
「見た目じゃありません。中味です。どうしてそう誤解を招く言動するのかしら・・?」
「地が出てきとるな。お嬢さん。その方が良い。君の母親はもっと口が悪かったぞ。」
「!?えっ・・母をご存知なんですか!?・・じゃあ好きな花って・・・」
「そう、君の母親が好きだった花だ、これは。妻は・・そう、妻も好きだと言ってはいたが・・」
「そんな・・・初めて聞きました。母とは一体・・?!」
「案ずることはない。私の片想いでね。何の関係もなかった。いや寧ろ嫌われていたかもしれん。」
「あなたと母が・・!?」
「少し前のお嬢さんと炎山のようにね。」
「そんな・・・」
「少々おしゃべりで疲れた・・お嬢さん、それで預かり物とは?」
「あっあの・・・これです・・・」

少女を動揺させるつもりはなかったがつい口が滑った。少し震えた小さな手の上に示されたそれは
私のよく知った時計だった。おそらく炎山が少女に渡したのだろう。

「それがまさかお嬢さんのところへたどり着くとはね。」
「これ、奥様がずっと大切に・・されてたんですよね?」
「・・・元々は君の母上に渡すはずだったものだ。・・・妻はそれを自分が欲しいと言った。」

少女には驚愕の表情が宿った。そうだろう、きっとそんな話は聞かされてはいまい。
本当に嫌われていたかもしれない。私は不器用というより、どう優しくすればいいかを知らなかった。
渡せなかった時計を投げ捨てたのを妻は見ていた。拾って来て自分にくれとせがんだ。

『この曲はあの人の好きな曲?それともあなた?』
『私も好きよ。とても綺麗なメロディ・・・心が安まる・・・』

「お嬢さんが持っているならそれでいい。私には必要ない。」

少女は時計を握り締めたまま泣いていた。私のことを見下げた奴だと思ったのかもしれない。
しかし、少女は涙を拭うと、私に向かって微笑んだ。

「ありがとうございます。私も大切にします・・奥様の想いが詰まったこの時計を。」
「・・・あれは・・・私を・・」
「そんなに深く愛しておられたんですね。母では適いません、きっと。」

少女はそう言った。そうかもしれない。しかし残酷な神もいるものだと感じる。
私のしでかしてきたことを・・・どうして責めてくれないのだ。どの女も・・どうして・・

「父には内緒にしておきます。それと・・きっと母もあなたのこと・・嫌いじゃなかったと思います。」
「・・・そうかね。」
「ええ、きっと。私なら・・」
「お嬢さんは炎山のことが好きかね?」
「・・・ええ。」
「そうか・・・」
「あの、どうかあまりご自分を責めないで。まだ大丈夫です。炎山と話をしてみてください。」
「・・・どうも我々は・・意地がぶつかってね・・・」
「親子ですから。でも炎山も貴方も・・・とても優しいわ。」
「・・・・父上に宜しく。無沙汰を詫びてくれ・・」
「はい。どうかお身体をお大事に。」


少女は私を車まで送っていき、車が発車しても手を振っていた。
名残惜しいと私は感じた。懐かしさではなく、少女に惹かれたのかもしれない。
昔のあの女とも、妻とも違う、しかし真直ぐな視線が同じのあどけない少女に。
炎山は私とは別の人間だ。同じ道を行くとは限らない。あの少女もまた・・・
自分は間違っていたとは思わない。しかし・・・息子にしてやれることはまだあるのかもしれない。
今更・・・父親気取りなことを・・・するのも難しいが。


炎山の父との会見はやいとが思っていたよりも衝撃的だった。
それでも別れ際、やいとの手を握り、秀石は言った。「お嬢さんは思った通りにされるといい。」
やいとも深く頷いて、手を握り返した。炎山よりも大きいが、同じ温かい手だった。

「まだ奥様のところへ行かれるのは早いですよ!」とやいとは声を掛けた。
乗り込んだ車の中から、微笑み返す秀石の顔は穏やかでとてもほっとした。
炎山に逢いたくなった。今何をしてるんだろう?どうか父親と正直に話し合えるようにと祈った。


「やいと様、炎山様からご連絡は・?」
「まだ無いわよ。仕方ないわ・・・」

心配するグライドにそう返事をすると、トロイメライのメロディが流れた。
びっくりしながら急いで端末を開くと、『顔が見たい。明日逢いに行く。』の文字。
「やいと様、良かったですね!?」
「逢いにって・・・どこにかしら?」
「また連絡があるんじゃないですか。」
「そうね。じゃあ返事するわ、いつでもいいわよって。」



時間を遡って、やいとが父秀石と逢っている頃、炎山は今回の縁談相手と話をしていた。
炎山の従姉妹で少し歳は上だ。良く知っている姉のような存在で話はすぐに着くと思っていた。
しかし、意外なことに従姉妹は縁談に乗り気だった。炎山は困惑の色を隠せないでいた。

「まさか・・・どうしてそんな・・・」
「あら、私炎山のこと好きよ?いいじゃない、他に良い男も居ないしね。」
「・・俺はそんな風に考えたこともないし・・・」
「これから考えてくれたのでいいわよ?そんなに悪い女とは思わないけど、どう?」
「良いも悪いも・・・俺には・・・」
「好きな子くらいそりゃいるわよね。一人や二人や三人・・・私浮気には寛大よ。」
「一人しかいません。・・・もっと自分を大切にしてください。」
「もう・・・女心のわかんない子ねぇ・・・ホントに好きだったんだってば・・」
「・・・・そ・・・れは・・・申し訳ない・・」
「ふふっ真面目よね、炎山って。まぁいいわ、あなたが嫌ならどうしようもないし。」
「何か困ったことがあればいくらでも力を貸しますから、俺のことは勘弁してください。お願いします。」
「あぁ〜・・・残念・・こんなにあっさり振られるなんて。ねぇ、思い出作りは?!」
「は?」
「秘密にしておいてあげるから・・どう?今夜一晩。」
「怒りますよ。」
「あら、私に恥をかかせる気!?」
「・・・本気なら尚更そんなことできません。」
「・・・軽蔑した?女なんて好きな男のためなら結構なんでもありなのよ?」
「なら俺より良い男見つけてください。」
「・・・・・キスだけでも・・だめ?」
「駄目です。」
「冷たい・・・ケチ!炎山のど真面目!ホモ・・の噂は嘘よね?」
「好き勝手言ってください。好きな子は女の子です、念のため。」

これまでその従姉妹はそんな風に思っていることなど少しも見せたことはなかった。
”女って・・わからない・・”と内心炎山は自分の未熟さを思い知った気がした。
『女の魅力』に欠けているのではないなどと言わされて、げっそりしてしまった。
おまけに「好きな女の子」についてもネチネチと聞き出そうとされて炎山は相当疲労した。

「そんなに可愛いの?ねぇねぇもっと教えなさいよ!帰さないわよ、簡単には!」
「生意気で口が悪くて、チビでデコで痩せっぽちでわがままです。貴女の方がいい女ですって・・・」
「はぁ〜、もう今晩はヤケ酒よ!炎山、付き合いなさいよね!」
「なんでそうなるんだ!?」
従姉妹は酒を持って来させ、炎山に絡むだけ絡み、酔い潰れたのでようやく解放された。
真夜中に帰宅してやれやれと脚を投げ出すと、ブルースが気の毒そうに声を掛けた。

「今日はまさかの災難でしたね・・お疲れ様です、炎山様。」
「全くだ・・・酒臭い・・今夜はシャワー浴びてもう寝る。」
「父上からメールが届いています。それだけは眼を通してからお休みください。」
「親父から・・?」

『惚れた女くらいさっさとものにしろ。-秀石-』

「・・・これはどういうことだ?ブルース・・」
「さぁ・・従姉妹のあの方のことではないようです。」
「だろうな?何があったんだ、一体・・・」
「今日父上は綾小路やいと嬢と逢われたそうです。それしか自分は存じません。」
「・・・・」

炎山には事情がさっぱり飲み込めなかったが、疲れていたのでそのことは明日へ先送りした。
ブルースに父親との対面の時間を取るよう命じ、シャワーを浴び、ベッドでメールを打った。

返事はすぐに来た。『いつでもいいわよ。待っててあげる。-やいと-』
炎山はやいとの顔を思い浮かべ、微笑んだ。顔が見たくてたまらない。
明日どうやって仕事や用の隙間を縫って出かけようかと炎山はブルースに予定を読み上げさせた。

「・・・宜しいのですか?」
「あぁ、それとそれはキャンセルだ。次にまわしてくれ。」
「承知しました。他には?」
「もういい。残りは明日だ。今日もご苦労だった。お休み。」
「お休みなさいませ、炎山様。お疲れ様でした。」

うんと返事をして炎山はベッドに転がるように横になった。
”親父に言われなくても・・・ものにする・・・・・”
意識も転がるように薄れていき、その呟きは炎山の夢の中に消えて行った。








お待たせしました。第11話へ続きますv^^